8年度 富士山雪上訓練

中村 孝

期 日 1996年12月8日(快晴)
パーティ 水野二朗、山城宗健、村瀬みゆき、人見邦明 、浅香真美、大久保純、中村JR.、中村 孝




 前夜8時に三ノ輪まで大久保さんに迎えに来てもらい、河口湖に10:00過ぎに到着。晩御飯を食べたりしたため、馬返しに着いたのは11:30頃だった。先発隊のダンロップがなかったので少し戻ったところにテントを張り、ちょっとだけビールとお酒を飲み就寝。起きている時は温かく感じたが、やはり12月。夏用シュラフでは寒く、あまり眠ることが出来なかった。
 1年ぶりの登山靴はやはり違和感があるので、ゆっくりとしたペースで冬枯れの道を辿る。いつものように三合目のベンチで小休止。青空が広がり絶好の登山日和だ。四合目を過ぎたところが例年通り氷結していたので、杖代わりにピッケルを出す。ほど無くして、自動車のエンジン音が聞こえたので見上げると、すぐ上が五合目であった。車道を行くと、見覚えのある赤白のウィンドヤッケの村瀬さんがいた。「遅いぞ!」とネボスケどもに朝のあいあさつをする。昨日冬山道具一式を購入した浅香さんが靴が入らず悪戦苦闘していた。
 佐藤小屋からスバルラインの終点の方に向って歩いて行くと、雪付きの良い斜面があり、多くのパーティが練習していたので我々も、その近くで練習することになった。ちょうど夏道の所らしく、ガードレール代わりにワイヤーが張ってあるので「落ちてもワイヤーで止まる!」という好条件の場所である。 最初は、歩行練習。ダイヤモンドを作り各自アイゼンをつけて歩く。(本当はアイゼン無しでやりたっかのだが、今年はカチカチの雪のためそれでは危険だった。)「ピッケルはどう持つのか?」「トラバースの時の足の向きは?」等質問も多く、みな真剣に取り組んでくれるので教える側も張り合いがある。あんまり上に行くなよー!と声をかけセーブしなければならないほど休みなく練習していたので、歩行に関しては皆かなり上達したと思う。>
 午後はこの堅い雪ではあまりしたくない滑落停止の訓練だ。ガードレールの支柱にアンカーを取り、落っこちの練習をする。最初の人があまりに止まらないので仕方なく私がやってみたが、体を反転する時の痛さを除けば止まらぬほどの雪面ではない。痛さを顔には出さず「止まるじゃん!」と声をかけ、この状況でこそ止められなければなどと偉そうに言って、ザイルいっぱい落ちたらビール1本だ!などとからかいながら練習を繰り返させる。よく「ピックを打ち込む」と言われている滑落停止だけど、それでは脇がどうしてもあまくなり、腕が伸びきってしまうので止まりにくいように思う。私は脇を思いっきり固め鎖骨の下にピックを固定しここに全体重をかける、という方法を採用している。
 この滑落停止訓練で特筆すべき人物は浅香さんであった。ザイルをつけ落っこち練習している人に気をとられていたが、その間ずっとワイヤーで守られている場所で、体を反転しピックを打ち込む練習を一人で、強制されたわけではないのに黙々と取り組んでいた。あれだけやってたら、帰宅してお風呂に入る時に肘、膝は青黒くアザになっていることだろう。
 最後に、雪上での確保法としてスタンディングアックスビレィをやった。このビレィの有効さと足元のシュリンゲにカラビナを付けこのビナにザイルを通すことの重要さを体で憶えてもらった。意外と簡単に止めることが出来ることを知ってもらえたように思う。
 天候に恵まれ、のんびり練習していた我々だったが突然「誰かー、止めてー!」の悲鳴が聞こえたので、声の方を見上げると50m程上から人が本当に落っこちてきた。あれは絶対止まらないと思ったが、運の良いことにガードレール代わりのワイヤーにうまく引っ掛かり見事に止まったのだった!。全身打撲で苦しがっていたが命に別状はない。手伝いましょうか?と我がパーティは申し入れたが「結構です。自分達でやります。」とのお返事だったのでその場を後にした。
  嫌なもんを見てしまったので、練習を続ける気が失せてしまい「もうお終い!」とする。あのようなことがあるからこそもっと練習したい!との声もあったが、事故者の搬出の側で練習を続けることは事故を起こした人に対して申し訳ない!という気持ちだった。
 下りはアイゼンを着け馬返しまで。こんなことに付合ってくれる奴はいないだろうな・・・と思っていたが、何と3人も付合ってくれた。大久保さん、村瀬さん、それに浅香さんである。(人見さんも途中までアイゼンを着けてくれました。)下っている最中は「我が輩は、何を食すべきか?」という大命題に頭を悩ませていましたので、ガチャガチャいうアイゼンの音も気にならずあっという間に馬返しに着くことが出来ました。(ここで得た結論は「グラタン」でした。しかし、入ったファミレスで私が1時間30分もかけて決定したグラタンを、わずか数秒で選択してしまう御仁がおりました。私の1時間30分にも及ぶ自己との対話はいったい何だったのでしょう!)ものすっごく悔しかったです。でも「爆発男(命名 村瀬さん)」にビールをおっごて貰ったので怒りが完全に収まりました。
 みなさん、ご苦労様でした。




富士山 雪上訓練懺悔録

人見 邦明


 その1 集合の時からご迷惑をかけました。水野さんが改札口と言っていたのをいい加減に聞き、交差点の角に立っている私を捜して20分間も人込みを右往左往させてしまいました。ごめんなさい。
 その2 47歳の私が初参加ということで気分がハイティーンになってしまいました。テント設営の直後から酒盛りが始まり、新参者のくせにこの席では牢名主になってしまいました。浅香さん手製のチャーシューは絶品でした。高いテンションに早いピッチ、それに大きな夢とくればすぐに出来上がってしまい、どうやって寝たのかも何処に寝たのかも覚えておりません。もぞもぞと目が覚めたらシュラフを足の方から被っていました。頭痛と胃の不快感の中で朝を迎えました。ほどほどということが出来ない私なのです。反省します。

 その3 重大な失敗です。私の不注意で会のダンロップテントを燃やしてしまいました。平身低頭してごめんなさい。メッシュの部分が全焼で、村瀬さんによりますと「幽霊屋敷みたい」にしてしまいました。ボンベにコンロをセットしようとしていた時に生ガスを漏らし、他の火に引火させてしまったのです。テントの中を火の海にして、テメエだけいち早くテントから脱出するという自己主義。自分の本性が嫌いになりました。テント本体まで燃やしてしまう寸前でした。修理代は当然当方で弁償いたしますが、飲み会の席にでも「テント爆発男」と言って頂ければ、貴方の割り勘率は少しは低くなるはずです。本当にごめんなさい。

 その4 雪上訓練を若干サボり気味に取り組みました。佐藤小屋の直下まで山城さんがパジェロで登ってしまいましたから大変楽に練習ゲレンデまで行くことができました。もっと遠くまで歩くのかと思っていたのでほっとしました。大久保さんや浅香、村瀬さんは熱心に練習していたのに、私はアイゼン歩行をいい加減にやってテキトーに暇を見つけては、景色を眺めたり、少なくなってきた水を独占して二日酔を癒していました。好天に恵まれて本当に良かったと思います。軽食後の練習ではビビってしまいました。物覚えが悪くロープを結ぶのに13分もかかりました。ピッケルを使って滑落を防ぐ練習では怖くなりました。下腹部が醜く垂れ下がり腕力をも弱まっているのでなかなか止めることが出来ません。体の節々が痛くなりました。その都度「あんたは死亡です。」と脅かされて肝を冷やしました。
 水野、中村、山城さんが実演したときはさすがだと唸りました。確保の練習ではぼーっと突っ立ているだけでしたがなんとか確保することはできたようです。練習が早めに終ったのでパジェロに乗らず罪滅ぼしに登山道を歩かせて頂きました。

 その5 これは懺悔ではありませんが、我々が練習している目の前で滑落事故を目撃したのです。どこかの山の会の中年女性が猛スピードでアイスバーンの斜面を滑落したのです。大変ショックでした。前日には8合目で2名死亡というニュースもあったそうだが、あの速度では助かるまいと思いました。
 運良くガードレールの鉄線が衝撃を吸収して打撲だけで済んだようです。「ああならない為の練習です」と皆で納得しましたが、それにしても恐ろしい光景でした。

 その6 装備計画が全くデタラメでした。持っていったものをほとんど使っていません。まず夕食は中華ドンブリ、朝食はペンネのホワイトソース和えと予定していましたが、作るのが面倒で菓子類で済ませました。使わなかった装備も沢山あります。エアーマットを膨らますこともサボりシュラフカバーも使わず、夏用のシュラフで足がかじかんでいました。さらに、一財産もある衣類を持参したのに一枚も着替えませんでした。荷物整理もパッキングの仕方もいい加減でそのままザックにぶち込んで帰りました。そのザックはわが家でさらに1週間ほこりにまみれていました。

 最後にお礼を。たった2日間でしたが、本当に色々なことがあり得ること多きセックンとなりました。冬の富士でこんな不思議な世界が繰り広げられていることは驚きです。会員の皆さんが陽気で私のミスを寛容にカバーして頂き、嬉しく思いました。ご指導ありがとうございます。