奥秩父 金峰山

川端 俊哉

期  日 1997年2月19日(水)〜2月23日(日)
パーティ 川端俊哉(単独)




2月19日(木) 天候 雪のち晴れ 増富温泉 ―― 瑞牆山荘 ―― 大日小屋

 韮崎駅から増富温泉行きのバスに乗っていると、ちらほらと雪が降り始め、気分も沈みがちになってきた。途中、中学生と思われる女の子が乗ってきた。こんな遠くまでバスで通うのかと思っていると、いくつかのバス停を過ぎた後その女の子は下車して、更に学校の送迎用と思われるバスに乗り込んでいった。
 韮崎市は、なんだかとても気温が低く肌寒い。雪が降っているせいか、街全体が何となく暗く寂しい感じがした。
 終点の増富温泉で下車し、身支度を整えながら、お土産やさんのおばさんとポツリポツリと話をする。
 ここから瑞牆山荘までひたすら舗装道路を歩いて行く。最初は辺りの景色を眺めて歩いていたが、単調な景色にも飽きてきて、下を向き、考え事をしながら黙々と歩く。瑞牆山荘から漸く登山道に入る。久し振りの山行なので、歩くこと自体に喜びを感じていた。
大日小屋には誰もいなかったので小屋泊りにしようかとも考えたが、なんとなくテントに泊りたい気分がしたのでテントにした。

2月20日(金) 天候 晴れ 大日小屋 ―― 金峰山 ―― ?

 昨晩は普通の米を炊いたので、その時の蒸気でテントの上部が凍ってしまった。一つ勉強になった。
 大日小屋から40分程歩くと大日岩に出た。赤石山脈が素晴らしい。この辺りからラッセルの跡も崩れ始め多少の労力を要するようになってきた。砂払いの頭からは今日が木曜日ということもあってかラッセルの跡は消えてしまい埋まりながら進む。それでも初めのほうは、ラッセルしながら歩くのを楽しんでいたが、途中からはいい加減疲れてしまい、2、3歩進んでは埋まったまま休みという感じでいたので全然距離が進まない。しかし、所々雪が少ない部分も出てきたので何とか金峰山山頂にたどり着くことができた。今まで自分が歩いてきた跡がずーっと着いているの見てとても嬉しくなった。雪に彩られた山々が美しく、さっきまで「冬山、嫌い」と思っていたのに「やっぱりいいな、冬山は」などとコロっと気持ちが変わってしまった。
 しかし、金峰を過ぎると再び雪との格闘が始まった。しかも、さっきまでとは比べ物にならない程の労力を必要とし、埋まって埋まって全然進まない。これは甲武信までなんてとても無理だと思い、引き返そうかなとも思ったが、行けるところまで行ってみようと思い直し、少しづつ進んで行く。行けるところまででいいやと思ったら、さっきまでの焦りもなくなって、再び楽しくなってきた。そして、少しスペースがあったところでテントを張った。

2月21日(金) 天候 吹雪 停滞

 外に出てみると昨日までの晴天とうってかわっての荒れ模様。細貝栄が「吹雪でも気が向けば行動する」と言っていたので、自分も行動し始めたが途中で引き返し、昨日と同じところにテントを張る。自分には吹雪の中でま行動出来る実力は残念ながらまだ、ないようだ。テントの中でラジオを聞いていると明日いっぱい、この荒天は続くとのことだ。明日も行動できないだろうしと思いふさぎ込んでいたが、仕方ないのでどうすれば明日を充実して過ごせるかを考えているうちに眠くなって寝てしまった。

2月22日(土) 天候 吹雪 停滞

 寒くて仕方ない。閉じ込められていると、気持ちがくさくさしてくる。少し精神的に参らされる。何もしていないのに、こんな形で参らされるのは初めてのことで、参りながらも新鮮であった。

2月23日(日) 天候 晴れ ? ―― 金峰山 ―― 大日小屋 ―― 瑞牆山荘 ―― 増富温泉

 風はまだ強いが晴れている。金峰までは少し大変だったが、そこからはすれ違う人も多くなり、楽に歩けるようになり、快調に進んで瑞牆山荘に着いた。この日辛かったのは、この後の車道歩きであった。
 増富温泉に着くと不老閣の前で甘酒を配っていて、汚らしい格好をした自分にも声をかけてくれたので嬉しかった。
今回の山行は体力的にも精神的にも打ちのめされた山行だった。完全敗北だったなぁと温泉に浸かりながら思いにふけっていた。