丹沢主脈縦走(焼山〜蛭ケ岳〜丹沢山〜塔ケ岳)   福田 和子 
期  日1998年11月14日〜15日(日)
メンバー福田和子、武藤良紀、中村 孝
14日(土)
 
【快晴】 焼山登山口・西野々(11:30)――焼山(13:40)――黍殻山――姫次――原小屋平(16:30)
 
15日(日)

 
【快晴】 起床(5:00)――出発(6:00)――蛭ケ岳(8:30/9:05)――丹沢山(10:35)――塔ケ岳(12:00/13:00)――大倉バス停(15:30)
 

 待ち合わせの京王線橋本駅に15分前に着いた私をさわやかな顔で武藤君は迎えてくれました。水曜日の夜見るよりはずっとすっきりと、いかにも余裕で山歩きが出来るという感じでした。そこへ中村先生が笑顔で登場です。
 
 バスを乗り継ぎ焼山登山口へ着きました。登山道には里の民家へ鹿が降りてこないためのフェンスの扉がありピッタリと閉めてから出発です。先生は武藤君のこの日初めて使うザック(105g)のパッキングを直したり、私には「一歩ずつ行きます。頑張りましょう。」と声をかけてくれました。私は10kgのザックが重くて前かがみなので足下ばかり見つめて登りました。先生の一歩ずつは歩幅がほぼ同じで、これは最後まで変わりませんでした。
 
 焼山への2時間弱はあっという間で自分でもびっくりでした(標高差にして760mあります)。
 
 黍殻山を過ぎ姫次では急に展望が開け、向こうには富士山のシルエットもありました。黄葉のからまつと夕焼けのやわらかい光で着ている服やみんなの顔まで秋の黄金色に染まりました。
 
 原小屋平では最初にテントを張り、次いで水汲みに出かけました。テントに戻るともう暗く、てきぱきとした指導がなかったら真っ暗な中でテントを張ることになったのかしら、テント泊では手順が一番大切だなとつくづく思いました。
 
 テント内の夕食はそれは楽しいものでした。先生は話しながらも手を決して休めることはありません。まず乾杯。必要な物だけを出すとザックを閉めて敷きマットの上に。そして端に置いてテントの1/3くらいをピッタリと自分のスペースにしてしまうのです。ランタンを灯しストーブの上にはフライパン、手際の良さにはさすが洗練されたものを感じます。私と武藤君は無言で見つめるばかりでした。
 
 冬山の寒さで寝られないことほど辛いことはなく、寝たかなと思うと目が覚めの繰り返し。眠れないと疲労も抜けずに辛いので経験を積んで自分なりの工夫が大切だと思いました。
 
 翌朝は6:30出発。途中気持ちの良い明るい鞍部があり鹿も遠く前方を横切って行きました。丹沢の最高峰蛭ケ岳へは霜も降りていて風も強く休憩するときは必ずフリースを羽織るようにしました。鬼が岩のクサリ場や笹原を過ぎアップダウンを繰り返すとき、登りは息が上ってしまい汗は出るし、必死に追いついて行きました。昼の塔ケ岳は焼き肉をバッチリ決めて周りの人々に「匂いだけでも嗅がせてね」とうらやましがられ得意になっている私でした。
 
 その後2時間半かけて大倉尾根を下り丹沢の山々へ「また来る日まで、さようなら」と挨拶をして主脈縦走の山行を終えました。
 
【編集者注】そんな大層な人物ではありません、私は。