創立60周年記念山行:南アルプス縦走記録 加藤

創立60周年記念山行:南アルプス縦走記録

・時期:2014.7.18~7.31
・目的:全山縦走(光岳~聖岳~赤石岳~悪沢岳~塩見岳~農鳥岳~間ノ岳~北岳~仙丈ケ岳~甲斐駒ヶ岳~鋸岳)

・参加者:ミナト(L)、イシツカミ、カト (記)
合流組:アトム(7/18-22赤石岳-椹島下山)
ツノダ、トヨダ(7/26-27北岳)
キム兄(7/29-31甲斐駒、鋸)

・食糧計画(各自):
(ミナト)
朝食・・・アルファ米1/2袋+コーヒー   昼食・・・アルファ米1/2袋(朝の残り)
夕食・・・アルファ米1袋+スープ
ビタミン、カルシウム・・・サプリメント
(カト)
夕食用主食(アルファ1/2):アルファ白米2、アルファ牛飯2、アルファちらし寿司1、即席パスタ1
夕食副食:カレー4日分(炒めひき肉、乾燥野菜)、玉ねぎスープ10
朝食用主食(アルファ1/2):アルファ白米2、アルファ山菜おこわ1、即席しらす雑炊2
朝食副食:インスタント味噌汁10、あじ干物4、お茶漬けの元4、梅干し
レーション:バゲット2、練乳、豆類、乾燥こまい、アルファ米2(ツノダ氏から補給)
(イシツカミ)
朝食・・・玄米ブラウン、菓子パン、大福(ツノダ氏からの補給)+コーヒー
行動食&昼食・・・アルファ米(1/2が基本。しかし全部食べた時もある)
夕食・・・アルファ米1袋+スープ(がっちり系のスープ)
ビタミン、サプリメント、飲料水(アミノバイタル)1.5?~2?

・記録:
(はじめに)
南アルプスの南部は一度行きたいと思っていた。また、甲斐駒から派生する鋸尾根・鋸岳も甲斐駒に登るたびにいつかは!と思っていた。今回の記念山行のお蔭で両方がいっぺんに叶った。しかも一度に南ア全山を縦走するというおまけまでついて…。2週間も山に入ったことも初めてでいろいろな意味でよい経験、冥途の土産となった。

60周年記念アルプス縦断計画を企画していただいた阿部代表ほか関係者、本山行のメンバーであるミナトL、イシツカミさんに感謝したい。特に南ア全山縦走にあたってミナトLの綿密な計画と柔軟な現実対応によって安全に実行できたことが何よりの成果だったと思う。また、イシツカミさんの終始元気で絶えないおしゃべりと笑いが疲れを忘れさせてくれた。更に、最初の5日間同行していただいた強力アトム氏、北岳ケッチボーで食糧補給を頂いたツノダ、トヨダノ両氏、北沢峠ケッチボーで酒の差し入れをいただき鋸同行のキム兄、皆さんには大変お世話を頂いた。これらの方々のご協力なくして長期山行はできなかったと思う。感謝に絶えない。

山行の途中で出会った方々からは我々の山行に驚きと羨望の眼が向けらエールを送られた。例えば、14日間縦走のザックの小さいことに驚き20数人パーティのリーダーから参考にするようにと紹介され、反対に大きなザックで14日間もよく行動できると驚かれ、また、仙丈ケ岳で我々に驚嘆した男女二人パーティは甲斐駒で一緒に写真を撮りたいと1時間も待っていたなど、山の仲間達の励みがひ弱な私の力の源泉となったことも事実だと思う。

道中、我々3人は嫁夫婦と舅と見られていたようだ。他の方から見れば年寄りが若い夫婦の間に入って何てことだなどと思われていたのだろう。しかも、テント内では、食べ物、飲み物をシェアーするし寝るときは寄り添うし(トン旦那には悪いが)何とも仲が良い。単独でいるよりよほど孤独感を味わう。反面、長く生きているとこんな体験もするものと山の仲間の良さを新鮮な気持ちで感じた。

今年71歳の私には少し乱暴な山行であり「介護山行」に終始したことは間違いない。この意味でも二人のパートナーに感謝したい。
以下、山行中思いついたことを書き述べ記録としたい。

7月18日(金)雨後曇
新宿発高速バス21:00-飯田駅7/19 1:00
・24:00を回り飯田駅近くの公園で幕営。最初は歩道上にテントを張るが巡回ポリスから安全確保上から注意されすぐ近くの公園を紹介される。 (飯田駅近くの公園で幕営)

7月19日(土)曇後雨
起床4:30 飯田駅6:20-7:30平岡駅7:35(タクシー)8:35易老渡8:50-易老岳
14:00/14:20-光小屋16:50   (光小屋幕営)
・易老渡登山口駐車場満杯。30分で尾根に乗り10:40面平、雨が落ちてくる。
・易老岳まで長い急登。本山行の核心のような感じ。イシツカミさんの荷を少しミナト、アトムの両強力に分ける。

光岳
光岳

7月20日(日)曇後雨
起床3:30 光小屋4:30-光岳4:50-5:00光小屋6:00-易老岳7:55/8:10-茶臼岳10:50-上河内岳13:10-聖平小屋14:00  (聖平小屋幕営)

・光岳は2,500mを超える山としては日本の最南端にあるとして百名山というが展望がなく何ということもない。写真が乱れてご免なさい。

・聖平小屋が近くなったところで雨が落ちてくる。急いだため浮石に右足を乗せてよろける。右手ストックを着くも斜面で空を切り顔面から倒れる。眼鏡が飛び右額を擦りむく。傷は大したことはないが眼鏡が心配。案の定フレームが大きく開き使い物にならない。しかしレンズが無事だったことが不幸中の幸い。以後メガネなし。

・14:00頃小屋軒先に入ったところで強い雨、バケツをひっくり返したような豪雨、16:00頃小雨になったところでテント設営。

7月21日(月)晴
起床3:00 聖平小屋4:30-聖岳7:15-兎岳10:05-小兎岳10:50-中盛丸山12:10-百間洞山の家13:30   (百閒洞露営地幕営)
・聖岳は急斜面を1時間登る。聖岳から兎岳は急登急降下を繰り返す。

聖岳
聖岳

・百間洞で2日間の雨で濡れた装備を乾かす。

・家から何回か着信記録があったので電話すると青森五所川原の義母が7/20亡くなったと聞く。山行の進退を女房と相談すると下山しなくてよいと言う。ならば、下山したら青森に行き8月の北アは断念する旨を伝える。

・ミナトLから、明日の中岳非難小屋までは長いので今後のことを考慮すると間に1泊入れた修正計画が示され同意する。7/22は中岳非難小屋から手前の荒川小屋泊に、また、7/23は中岳非難小屋先の高山裏非難小屋幕営に変更。以後は当初計画通りで下山は7/30から7/31に変更。この旨掲示板で知らせる。

赤石岳
赤石岳
赤石岳避難小屋ハモニカ
赤石岳避難小屋ハモニカ

7月22日(火)晴
起床3:00 百閒洞露営地幕営4:00-赤石岳7:20/8:40-小赤石岳9:10-荒川小屋12:30    (荒川小屋泊)

・赤石岳避難小屋に寄り女性管理人からハモニカ演奏の歓迎を受ける。最初はアメリカ民謡「ミズーリ川をこえて(タイトルは「シェナンドー」か?)、アンコールするとダブルバモニカで「津軽のふるさと」。義母の死などいろいろありちょっとジンとくる。

・男性管理人からは展望の良い場所を教えてもらい南アルプスの山の大きさと谷の深さを堪能する。また、高山裏非難小屋管理人への手紙とリンゴをミナトLが託される。私たちもリンゴ1個いただく。

・義母の葬儀はすべて地元の親戚のご協力で済ませたので私は9月の四十九日に行けばよいことになりすっきりして山行を続けることになった。この間ミナト、イシツカミの両氏には随分心配をかけた。

・荒川小屋の夕食はカレーと焼き豚の荒川丼。私は荒川丼。カレーとご飯はお替り自由なのでカレーも食す。一粒での二度おいしいとはこのことか。

悪沢岳
悪沢岳

 

7月23日(水)晴
起床4:00 荒川小屋5:10-中岳6:40-悪沢岳7:50/8:50-中岳非難小屋9:50-中岳10:00/10:30-前岳10:40-高山裏非難小屋13:20 (高山裏非難小屋幕営)

・悪沢岳は風がなく光岳から甲斐駒まで展望する。1時間山頂でのんびり過ごす。

・前岳からのルートは南西斜面が崩落していて危うい尾根。尾根を通過するとガレ沢600mの下り。

・高山裏非難小屋手前の水場で体を拭き、衣類を洗濯しさっぱりする。

7月24日(木)晴
起床4:00 高山裏非難小屋4:40-板谷岳6:00-小河内岳8:10-烏帽子岳10:20-三伏峠小屋12:20  (三伏峠小屋幕営)

・小屋手前の斜面の花を保護しているのでお花畑となって黄色、紫などの花が咲き乱れている。

・小屋でカップ麺を買う。以後昼飯用に小屋でカップ麺を買って食す。

塩見岳東峰
塩見岳東峰

7月25日(金)晴
起床3:00 三伏峠小屋3:50-本谷山4:50-塩見岳8:10-熊の平小屋13:40
(熊の平小屋幕営)

・権衛門山トラバースに入る手前で枯れ木を跨いだら右膝にかかりタイツを大きく破る。

・塩見岳東峰から掲示板に中間報告「涼しい朝でごめんなさい」を入れる。家に電話したら8時ころですでに30度を越しているとか。

7月26日(土)晴
起床3:00 熊の平小屋3:50-農鳥沢頭6:30/6:40-西農鳥岳7:40-農鳥岳8:20-農鳥小屋9:50-農鳥沢頭10:30-間ノ岳11:30-中白根岳12:40-北岳山荘13:10    (北岳山荘幕営)

・仙塩尾根を離れて三国沢、ガレた農鳥沢をトラバース。

ガレた農鳥沢
ガレた農鳥沢
08農鳥岳
08農鳥岳

 

間ノ岳
間ノ岳

・北岳山荘でツノダ、トヨダ両氏とケッチボー。ビール、酒、漬物、アルファ米などの差し入れに感謝。また、夕食はツノダ氏特製のボタージュをおいしくいただく。

北岳頂上サポート隊と
北岳頂上サポート隊と

7月27日(日)強風、曇後晴後雨
起床3:00 北岳山荘4:00-北岳5:30/6:00-中白根沢ノ頭7:00-両股小屋11:30   (両股小屋幕営)

 ・早朝から低気圧と前線の影響で強風。尾根ルートから八本歯コルルートの変更。風で体が飛ばされそう。

左股沢
左股沢

・肩ノ小屋、中白根沢ノ頭分岐でツノダ、トヨダ両氏と別れる。
・左股沢への斜面は崩落し強引に下る。イシヅカミさん滑る。下の私がザックに手をかけて止める。ロープを出して下りる。沢は不明瞭な下り。雪渓はロープを出す。

・小屋管理人曰く左股沢ルートは雪渓があり通行止めとのこと。下から上がる場合は看板があるが下る場合はない。
・小屋に着いたら強い雨が降りだす。

7月28日(月)晴
起床3:00 両股小屋3:50-伊那荒倉岳7:40-大仙丈ケ岳11:40-仙丈ケ岳12:10-仙丈小屋13:30  (仙丈小屋泊)

・北沢峠まで下らないと幕営地がないので仙丈小屋泊。平日なのに小屋泊まりは多い。

・大仙丈から千丈に向かう途中で単独のおじさんと話していたら、イシツカミさんがあなたは新潟ではないかと聞くとピンポーンでしかも同じ町の方だと言う。誰それは知っているかなど話が弾む。

・仙丈ケ岳では我々の縦走を称えてくれて甲斐駒での再会を期待したいというパーティもあった。

仙丈ケ岳
仙丈ケ岳

7月29日(火)晴
起床5:00 仙丈小屋5:30-北沢峠8:00/8:30-甲斐駒12:40/13:20-鋸尾根六合目石室14:20  (六合目石室泊)

・小仙丈付近からはNo1富士山、No2北岳、No3間ノ岳がそろい踏みしている素晴らしい展望。

富士、北岳、間ノ岳
富士、北岳、間ノ岳

・北沢峠でキム兄とケッチボー。7:15着なのでだいぶ待たせた。もっとも予定より遅れることはイシツカミさんがしっかりメールしていた。

・明日の天気が心配で仙水小屋で確認すると晴予報。この山行は最後まで天気に恵まれると喜ぶ。

・仙水峠経由で駒津峰まで一気に上がる。

・甲斐駒では前日再会しようといった男女二人組が1時間も我々を待っていた。どうも我々の俄かファンとなったようだ。女性は静岡、男性は大阪で、山で一緒になり意気投合し年数回一緒に山行しているとのこと。

甲斐駒
甲斐駒

・甲斐駒への登りで右足ひざ内側から上の筋肉の痛みを感じて湿布を張る。甲斐駒から鋸六合目石室までの下りは痛みを我慢して下る。この調子だと明日の鋸は断念せざるを得ない。ミナトLに伝えて明日の様子を見ることにする。

・六合目石室は立派な作り。イシヅカミ、キム兄両氏に水汲みに行ってもらうが水場が分からずしかも少量で苦労したようだ。1時間以上かかり心配したがしっかり確保してきた。

・痛む足の湿布を張り替えてテーピングをしっかりしてキム兄差し入れの焼酎をたらふく飲んで寝る。

7月30日(水)晴
起床4:00 鋸尾根六合目石室5:10-第二高点8:40-鹿窓9:20-大ギャップ10:00-鋸岳(第一高点)10:20/10:50-戸台川13:50-戸台P16:20(タクシー)伊那市18:00  (伊那市ビジネスH泊)

・右足の痛みはない。念のため腰痛対策のロキソニン錠60mgを飲む。私は体力がないせいかこの薬飲むと暫くは頭が朦朧となり吐き気をもようす。

・一度は鋸に登ってみたいと思っていたので痛みがなく憂いなく歩けるのはラッキーと思わねばならない。またミナトLに心配をかけた。

・ルートファインディングは難しい。前日仙丈小屋管理人に烏帽子岳への尾根に行くなよと注意されていたのにどこで間違えたか尾根筋から外れて斜面をあがると烏帽子岳への尾根に上がってしまった。

鋸鹿窓
鋸鹿窓

 

鋸岳(第一高点)
鋸岳(第一高点)

・角兵衛沢の下りはガラ場というより岩雪崩が起きそうな場所だ。ゴロゴロと岩が落ちて危険なので極力ジグザグに下る。

・戸台川にやっと下りて対岸のルートに行くのに裸足で川を渡る。冷たい川水が火照った足を癒してくれる。

・橋本山荘に泊まる予定だったが廃業したとのこと。どうりで2日前くらいから電話をしても出ないわけだ。

・タクシーで伊那市まで行く。運転手さん紹介のビジネスホテルに入る。ビジネスHには珍しい浴場があり、13日ぶりの風呂に入りたまった垢を流す。

・伊那市はソースかつ丼が名物とのことでH近くの店で特製を食す。もちろんビール、酒付だ。

・飲み足らずHに紹介してもらった飲み屋にキム兄と行く。うまい酒、鮪の刺身などを食う。22:00H帰還。

7月31日(木)晴
起床6:30 伊那市駅8:56=岡谷駅10:12(あずさ)新宿12:33