北アルプス、槍ガ岳 水 野 二 朗
期 日
1996年10月5日〜6日
メンバー
水野 二朗(じろーさん)、渡辺 淳一(じゅんちゃん)、中村 有希(ゆきちゃん) 、
小村 純平(じゅんぺーくん)
いったいなぜこのメンバーで山何ぞに行くことになったのか。それは関温泉スキー学校アシスタント軍団、OB会の元締め渡辺氏が今年松本に転勤になったことに端を発するのである。山が近いのではじめは山スキーに行こうという話であったが、私の都合もありつい延び延びになっていたのがとうとう本当の山登りになってしまった。そこに何を血迷ったか中村さん、小村さんが参加してきたのであった。
3人が集合し松本の淳ちゃんの家へ向け中央高速にのったのは、4日の11時頃であった。途中あれを忘れただのなんだかんだと騒ぎながら松本、淳一ホテルに2時頃到着。寝ていた淳ちゃんをたたき起こし、まあとにかくビールでも飲もうじゃあないかといっぱいやりながら荷物をチェックし、パッキングをする。小屋泊りだし荷物はたいしたことない。少し仮眠してから出発することにする。
5時半頃出発、食料の買い出しをすませ、沢渡でタクシーに乗り換え上高地へ向かう。天気はいい。上高地で朝飯を食い、7時半頃歩き出す。上高地付近は観光客や中高年登山者で混み合っている。明神をすぎる辺りまでは人が多く歩きずらかったが横尾まで行くとだいぶ人は減った。この先は涸沢へ向かう人がほとんどで槍方面へ向かう人は少ない。ほとんど寝ていない我々はそのわりにはみんな元気である。が、やっぱり眠い。
私の当初の計画では槍沢ロッジで一泊のつもりでいたので今日は楽勝だろう。しかしひそかにこのペースなら殺生まで行けるかなと思い始めていたのだった。一ノ俣をすぎる辺りから徐々に登り出すがそれほど急ではない。すぐに樹林帯の中に建つ槍沢ロッジに到着。まだ11時半ぐらいである。みんなかなり眠そうだし初日だから今日はこんなもんでいいだろうと思っていたのだが誰ひとりとして疲れたとかもうヤダとか言い出さない。天気がいいので槍沢ロッジの前で昼飯を食い少しゆっくりすることにする。15分ほどウトウトするとみんな復活した。それじゃあがんばって殺生あたりまで行きますか、と再び歩き出す。しばらく行くと視界がだいぶ開け、槍沢の左岸をずっと道が続く。対岸の尾根の木々はだいぶ色づいてきており、我々の行く道すじの所々でも透き通るような黄色や赤が目につくようになってきた。古い小屋跡の天場をすぎ、紅葉を楽しみながら行くと、大曲がり付近にたくさん人が集まっている。対岸の紅葉を撮影しにきているアマチュアカメラマン達のようだ。しばし紅葉を眺め、その場を後にする。これまでは緩い傾斜の登りであったが槍沢上部で次第に傾斜が強くなってきた。殺生ヒュッテまではもう一息であろう。しかし上部はガスがかかり穂先はまったく見えない。もう少しであることはわかっているのだが目的地が見えないことと、急登で我々のペースもがくっと落ちてしまった。20分ほど歩いては少し休みながら、じわじわと前進しその甲斐あって坊主の岩小屋をすぎた辺りで前方にかかっていたガスが消え、槍の穂先がぼんやりと姿を見せ始めた。少し雪のついた槍の穂先は以前見たマッターホルンを彷彿とさせる姿であった。槍をバックに記念撮影をし、次第に近づいてくる発電器の音をたよりに、やっと見えてきた殺生ヒュッテめざし最後のひと踏ん張りをする我々であった。
殺生ヒュッテ着は四時を少しまわった頃であった。前日、小屋は混んでいるらしいというエセ情報をヤマシロ山岳情報サービスよりつかまされていた私は、混んでたらやだなーと思いつつ小屋のオネーチャンに宿泊を申し込んだところ、ラッキーなことに殺生ヒュッテはかなり空いている状態であった。そのうえ素泊まり(5000円)は我々だけで、広いテーブルを独占して宴会をすることができた。小屋のオネーチャンの話しによると、早起きしてご来光を見ようというまじめな人は肩の小屋まで行って泊まるらしい。我々のようなネボスケどもが殺生ヒュッテに泊まるのだという。とりあえず、アルミ缶に入った泡の出る液体を購入し、乾杯をする。寝場所を確保し、荷物を整理して早速宴会の始まりである。初日にここまできてしまえば後は明日ちょっと登ってサクサク下るだけなのでみんなほっとしているようである。夕食のメニューはカレーとかビーフシチューとかラーメンとか適当につくりナベごと回し食いで、適当に酒の入った連中がばかっぱなしをしながら鍋からお玉でラーメンを食う姿など誰が見てもこの人たちをスキーヤーだとは認めてくれないだろう。腹がいっぱいになった後は今日の寝不足のためにあっという間に寝てしまった。私などは寒くもなく非常に快適に熟睡できたのだが、結構皆は寒かったりいびきがうるさかったとかで眠れなかったようである。とくにゆきちゃんなどはまわりのいびきと歯ぎしりと寒さでまたもやほとんど眠れなかったらしい。
さあ、快適な朝がきました。眠れなくて死にそうな人もいるようですが今日も最高のお天気です。お茶を飲み、朝飯のラーメンを食いさあ出かけようという頃にはやっぱり我々の他に小屋にいるのは小屋の従業員だけでした。やはり3000メートル近い秋の空は下界で見る青空とは色が違います。その空をバックに間近に槍の穂先を見ながら急登を登っていくと程なく槍の肩に到着です。見上げる槍の穂先は所々についた雪が凍りつき滑りやすくなっているようです。後で聞いた話ですが、前日に雪が降り、穂先で雷に打たれて死んでしまった人がいたようです。そのことは我々はまだ知らなかったので何も考えずさあ登ろうと登りだしたのでした。出だしで凍り付いた雪が若干滑るなと感じましたがまあ何とかなるだろう、だいじょぶ、だいじょぶと登って行きます。じゅんぺい君は慣れたもんでどんどん登っていきます。ゆきちゃんも少し不安はあるものの沢登りが楽しいという位なので平気です。が、約一名、じゅんちゃんがダダッ子になってしまいました。じゅんじゅんおうちに帰るーとダタをこねる彼をなだめ空かし、少しずつ頂上へ近づいていきます。一瞬、戻った方がいいかなと思いましたがここまできてピークを踏まなければいったい何をしにきたのかわかりません。それに、天気も良く、岩場の状態もまだそれほどやばい状態ではないと感じていたので無理矢理連れていってしまうことにしました。彼も、恐怖心と戦いながら必死に自分を奮い立たせ少しずつでも前進していきます。私は、こころの中では、誰も滑り落ちたりしないことを願いつつも表面上は、こんなとこぜんぜん平気じゃーんみたいな顔をして登っていきます。さあもう少し、ピーク直下の梯子まできました。梯子を慎重に一歩一歩登り頂上に顔を出した瞬間、じゅんちゃんは叫びました。「ヒエー、こんなところに来ちまったー、帰りどーすんだよー」。頂上に着いた感動よりも下りの不安の方がぜんぜん大きいのです。でも多分その場にいた人たちのほとんどが口には出しませんが同じ気持ちだったろうと思います。頂上で証拠写真を撮り、ひとしきりあちこちを眺めていよいよこわーい下りです。登りよりも下りの方が危ないから気を付けてねーと一応は注意をし下り始めましたが、我々よりも遅い人もいるし、要所要所には鎖や梯子が着けられていてとくに心配することもなく、登りよりも順調に肩まで降りることができました。いやーよかったよかった生きててよかった。これで槍が岳を登るという第一の目的も達成できたというものです。少し時間を食ってしまいましたが、後は帰るだけです。
じゅんぺい君のお勧めで途中まで東鎌尾根(喜作新道)を行き水俣乗越から再び槍沢へ降りるルートを取ることにし、下り始めます。途中崩壊しているところや長い梯子などがありますが尾根沿いなので槍沢を下るよりも明るく見晴らしがいいのでお勧めです。とくに水俣乗越から槍沢に下る道は普段は何てことないのでしょうがこの時期は正に紅葉と同化してしまうような錯覚に浸れます。ここを下りきると大曲がりのところに出てきます(地図には出ていないようですが水俣乗越から天上沢に沿って湯俣方面へも道がついていました)。あとは歩きやすい道をサクサク下るだけです。途中槍見平で槍を振り返り、横尾まで行ってしまえば暗くなっても大丈夫と先を急ぎます。そしてとうとう横尾に着きました。まだ明るく、ここまで来てしまえば終わったも同然、今日一日ろくなもん食ってないし、ちょっとなんか食おうよ、となぜかここでもアルミ缶に入った泡の出る液体を購入し、今日第一回目の乾杯が始まってしまいました。ジフィーズをつくり、カップしるこなどというものも出てきてしまいには前日の残りのサントリーのおいしいお水もとびだす始末です。だんだん辺りは暗くなりはじめ、サントリーのおいしいお水がもう少しあったらやばい状態でしたが、燃料の補給もすみ、その勢いで上高地を目指します。ヘッドランプをつけ、みんなやる気モードにモードチェンジし、なんと上高地に2時間かからないで着いてしまいました(このハイペースのおかげで翌朝はみんなボロボロでした)。上高地着は8時頃だったでしょうか。早く着いたらキノコ鍋をやるという目的は達成できませんでしたが、風呂に入り、ビールを飲みながらスキーのビデオを見ているこの人たちはやっぱりスキーヤーなのでした。おつかれさま。