冬合宿 北アルプス・槍ヶ岳 中崎尾根〜西鎌尾根


期  日 1997年12月28日(日)〜1998年1月1日(木)
メンバー 大久保 純、水野二朗、岡田真也、村瀬みゆき、中村JR、中村 孝

12月29日(月) 天候 快晴 新穂高(9:30) − 槍平(14:00)

 昨年の学習効果が功を奏してしまったのだろう、今年は「フグ酒・ヒレヒレ」事件のように愉快な出来事が勃発することなく、お見送りに来てくれた阿部、山城、武井各氏の差し入れを余すことなくいただくだけの静かな旅立ちの儀をつつがなく執り行った我々6人は、急行・加賀号の乗客として上野を後に北国は富山を目指すことになった(電車内ではしゃぎまくっている男女各1名)。
例年の年末ならば水上あたりから雪がちらほら見えるのだが今年は雪が全く見えない。数日前にも雪は降ったはずなのだが暖冬のために雪が融けたのだろう、路面がびしょ濡れだ。富山で高山線に乗り換え、更に猪谷で神岡鉄道に乗り換え山の奥深くへ分け入るように列車は進むのだが、車窓から雪を見ることが出来ない。この寡雪状況は新穂高温泉でも同じだった。(雪が少ないのでここにワカンをデポした)

 朝食は新穂高温泉のそばで済ませ??この地の「おつゆ」は関西風のものだった??無風快晴の天候に感謝しながら今合宿の目的地である槍ヶ岳への第一歩を踏み出す。今日の行程はここから槍平まで、標高差約800mだ。距離があるので大した登りではない。しばらくは林道歩き。穂高岳西面の展望が素晴らしい。

 ところが夏にお犬様に左足を献上して以来歩く山行をサボっていた私は、久々の重荷と1年ぶりの登山靴のせいか歩きがしっくりしない。上半身と下半身がバラバラで歩行にリズムが無く、どうにもスピードが上がらない。槍平まであと1ピッチの滝谷出合避難小屋からは元気な人に先行してもらい、ゆっくりと歩くことにする。

 槍平の幕営指定地には先行した4名でテントを設営しておいてくれた。しばらくすると「うわ〜、陽が当たるところに張ったつもりなのに・・。」とヒレ君。しかし、西に長大な中崎尾根をひかえた槍平では、午後3時を過ぎればどこでもこの尾根の日陰になってしまい陽は当たらない。でも「少しでも条件の良い所に・・・」という心遣いが嬉しい。

 今晩は入山初日のお約束、すき焼きだ。Jrは白菜を切り、岡田さんは生肉を醤油につけて食べながら慎重に味見、村瀬さんは牛肉なんて普段食べられない!とまるで宝物を扱うように慎重にかつしっかりとコッヘルを支え、二朗さんは春菊をひねるようにして葉の部分と茎の部分に引き千切り、ヒレ君は6個の水筒を持って水汲みに、私はシラタキ代わりにマロニーだ、エノキもあるよ、などと言いながらの夕食の支度。当然お約束のアルコールをいただいているので「つまみ」としてコッヘルの中身が消費されていく。しかし牛肉は450gパックが4個あるのでみんな焦らない。肉の量が少ないと「あっ、こいつは骨だ!肉を寄越せ!」「フン、お前は骨でもしゃぶってろ!」という醜い争い??古人曰く「骨肉の争い(?)」??が生じるのだろうが、今回は無縁だ。肉の量を気にすることなく、美味しいすき焼きをお腹一杯食べられる幸せのひととき・・・。

 昨夜は列車内の異常な暑さでほとんど睡眠をとれず、またアルコールの酔いも手伝って午後7時過ぎには睡魔がやって来たためおとなしくシュラフに入る。(おとなしくない輩もいたが・・・)

「今日は疲れた・・・」、「ここから槍までは昨年に比べると半分の距離しかないからどうにかなるだろう・・・」、「今晩ゆっくり休めば身体も山になれるだろう・・・」、などと考えているうちに眠りに入っていた。
(記 中村 孝)


12月30日(火) 天候 雪 沈殿

  29日晩からの雪のため沈殿。一晩で30〜40cm程度の積雪あり。日中も降り続く模様である。行動できないほどの雪ではないが雪の具合と入山パーティーの量からしてこれからの行程に大きな影響は考えられないし、防水性皆無のヤッケを着ている若干2名にはかういふ天気での行動はつらいものがある。
沈殿というのもこの面子では初めてなのでおもしろいのではないかと大久保長官に停滞を進言する。進言は即座に採択され沈殿が決定する。

  TVは全く映らないのでラジヲを聞きながらの生活となる。この後の行程もさほどないし環境のいい天場だったこともあり朝から禁断の酒に手を出すものが現れる。酒さえ飲んでいれば沈殿もまた可なりである。魔法の水のおかげで特に苦痛に感ずることもなく1日がすぎていった。せっかく上野で買ったテトリスJr2も使われることなく終わった。この結果案の定酒は見る見るうちになくなり今後の活動の差し障りとなった。

 中村たーさんがアメ横で仕入れてきたアタリ目を甘辛く煮たり、すゐとん入りの汁粉を作ったりして過ごしたが、あっという間に気象通報の時間となる。毎日天気図をとるのは面倒であった。と愚痴をこぼしたら大久保長官と村瀬さんは帰京してから天気図をとる練習を始めたそうである。脱帽。

 燃料(ガソリン)・食糧が豊富にあり、酒もそこそこ、暖かくロケーションのよいサイトでの沈殿は非常に快適であった。
(記 岡田真也)


12月31日(水) 天候 曇のち快晴 槍平(6:45) -- 中崎尾根に合流(8:05) -- 2388mCS(9:10)

 どうやら天気も回復しそうなので小雪の降るなか出発、中崎尾根から伸びる小尾根に取り付いた。トレースはハッキリついているので楽勝だ。ものの本には「・・・中崎尾根までの小尾根は急登で・・・」とあったがトレースのついているこの状況では去年の横尾尾根“2のガリー”の「グチャグチャ・ベタベタところによりカチカチ」の急勾配ラッセルを経験してきている我々には「きつい登り」なんて感じられない。快調に高度を稼いでいるうちに天候は徐々に回復し中崎尾根のスカイラインが見えるようになったが、「あれ?」と思うくらい真近かにそれはあった。コースタイムには3時間と記されてあったがまだ歩きはじめて1時間も経っていない。何だ、なんだ、・・・と言ってるうちに尾根に上がってしまった。まだ8時ではないか。尾根上からはこれから進む中崎尾根の全貌も、西鎌尾根もそして槍ヶ岳もすべて見通せる。当初の予定では2500m辺りにCSを設営して、と言うことだったが尾根上のどこをCSとしても槍までは4時間もかからなさそうだ。それならば森林限界を超えた所に設営するよりも樹林帯にテントを立てたほうが良い。ということで、時間的には早すぎたが2388mのピークの下にテントを設営することにした。(この日のうちに槍まで往復できたが明日も天気は良い、という岡田気象予報官のお言葉と、せっかくだから元旦を頂上で迎えたいということで、明日に延期した。)

 時間は有り余っているので防風ブロックを高く積み、立派なトイレも作った。ここからの眺めは最高で穂高の西面〜槍〜西鎌〜笠・・・と大パノラマが居ながらにして楽しめる。風も無く暖かだったのでみんな外に居てこの展望を十分に楽しんでいた。

 夜はやっとこさ映ったTVで「紅白」を見た。ここ数年はTVが受信できない地で冬合宿を組んでしまっいたので久々にテントの中で「森高」を見れて興奮してた者が数名。それを見てせせら笑うもの数名。「でも、冬合宿のテントの中で森高を見られると、頂上に行けるというジンクスがあるのだ!」と興奮者からの物言い・・・。 就寝前、小用のため外に出るともの凄い数の星が輝いていた。寒さを忘れしばし夜空を仰ぐ。良く見ると天の川くんの姿もあった。数年前の冬の剱以来の再会であった。
(記 中村 孝)
中崎尾根CS(2388m)からの穂高西面 大キレットと滝谷

1月1日(木) 天候 雪 B.C(6:00) -- 槍山頂(9:26) -- B.C.(12:00) -- 撤収出発(13:00) -- 槍平(14:10) -- 白出小屋(15:00/15:20) -- 新穂高(17:20)

 暗いうちにヘッ電をつけて出発。見るとキツネの嫁入りのように右の飛騨沢や行く手の稜線上に明かりの列がいたる所に見える。さすが正月だ。中崎尾根上は風もなく、登るにつれ暑くなりフ−ドもとってしまったが、西鎌に登ると急に風が強くなり、飛んでくる雪が顔に当たって痛い。すぐ目出帽をかぶる。尾根から右にトラバ−ス気味に槍めざして登っていったが、ハッキリ言って自分が今どこをどのように登っているのかよくわからなくなった。ただ夢中でJr. の後ろを歩く。斜面を登る時雪崩がこわかった。肩の小屋が見え、踏んでいるのは小屋の1階の屋根だった。冬期小屋の中は狭く暗いが風をよけるにはありがたい。ここでひとごこちついてから穂へとりつく。

 不思議なことに夏見た穂先は、真っ黒くこちらにおおいかぶさってくるように見えたのに、目の前のそれはなだらかに小さく見えた。おかげで予想していた恐怖感は登っている最中にもさほど感じられない。雪もカチカチに凍っていず、岩にもほとんど着いていなかったので安心できた。最初のハシゴで時間がかかっている先行パ−ティを右にやりすごして左の岩場を登り(U級程度でたすかった〜)雪のつまったルンゼにピックとアイゼンで登ると、まったく滑らないでアッという間に頂上に着いてしまった。おおいに拍子抜けの感じ。頂上の風は西鎌ほど強くなく、あいかわらず小雪が舞っているが展望はよく、富士山はさすがにみえないがかなり遠方まで見える。下りる直前まで頂上は我々だけで独占できた。天気が悪く報道のヘリが来なかったのが残念!

 下りでJr.の後頭部にアイゼンで一発かました。かなりのショックだったらしく彼はしばし動けず。日頃の恨みでわざとやった、訳ではなかったのだが、前の人に近づきすぎる私の欠点を反省。西鎌に下りた途端にまたスゴイ風。登ってきたときよりずっとひどい。雪が目に入るしまつげは氷つくしで前が見えず、強風で何度もよろけてまっすぐ歩けない。私には初体験の強風で、あまりの突風時には歩かずに耐風姿勢をとるよう、岡田さんに注意される。

 天気もわるくなりそうだし(もう一滴のアルコ−ルもなくなったので)今日のうちに富山へ出るため急ぎテントを撤収して中崎尾根を降りる。ここで今回私の最大の失敗??アイゼンをとってしまった。ここからバス停まで、平らでない道ではずっとすべりつづけ余分な力を使ったため、下山に極度に体力を消耗してしまい、疲労困憊してしまった。非常に情けなく悔しい思いをした。今後はまわりの人がどうするか、ではなく、自分がどう感じるかで装備を決めなければ。

 ギリギリで17:30の高山行きのバスに間にあい、19:00頃高山に着き、なんと2時間も高山本線にゆられてようやく富山へ。高山でビールが買えなかったうえ疲れて空腹の私はすこぶるきげんが悪い。富山についても元旦のため銭湯も食堂もやっていず、駅弁すら買えない。まさか元旦から駅のコンコースに座り込んでコンビニのおにぎりをパクつくはめに陥ろうとは! いったい今年はどんなトシになるんだっ!! しかし元旦の急行能登はさすがにすいていて、また横になって眠ることができた。メデタシメデタシ。
(記 村瀬みゆき)

正月のお餅を食べ、ヘッ電をつけてスタート。雪も締っていて歩きやすい。昨年の地獄のような横尾尾根とは違い中崎尾根は楽だからだろう、アリの行進みたいなパーティーがうじゃうじゃ数多くいる。

 他のメンバーからは絶対頂上に行くという気持ちが感じられるが、自分は駄目でもともと、行けるところまで、疲れたら待ってよー、という安易な気持ちでゆっくり歩く。

 西鎌尾根に出る辺りから雪混じりの強風が顔を打ちとても痛い。みんなはどうしているかと見ると平気な顔をして歩いている。さすが面の皮が厚い。穂先は槍沢から見るのとは違い大分小さく見える。冬は夏に比べて難しくなく、本当にアッという間に到着してしまった。頂上には我々しかいなく貸し切りである。先程は行ける所まで、と言ったが登れれば嬉しい。ヤッタ、ヤッタと思わずガッツポーズ。登っている時の視界と雲泥の差、山頂の展望の素晴らしさに雄叫びをあげてしまった。

 2年越しの願いの達成である。そういえば山渓2月号「今年の運勢」の中で“おすすめの山行”という欄があり「昔涙を飲んだ山へのリターンマッチ」とあるので今年はとても良い年になりそう。ちなみに魚座です。
瞼が雪で凍っちゃった人、風で飛ばされた人、アイゼンが頭に刺さった人、酒が足りなかった人、いろいろな思いをしながら一気に新穂高温泉まで下山。

 元日が災いしてか風呂屋、めし屋は開いておらず立ち食いそばとはちと悲し。しかし北稜御用達の富山の「マス寿司」と銘酒「立山」を仕入れ上機嫌であった。

  1. 動く体で戻ってきた
  2. 頂上に登れた
  3. 昨年より迷惑をかけなかった

以上私が良かったこの冬合宿ベスト3です。

(記 中村優)