10年度冬合宿・北アルプス燕岳
第1部 怒濤の記録編 岡田 真也
12月29日(火) 新宿23:50 ― <JR
急行アルプス南小谷行> ― 穂高駅
21:00頃新宿駅6番線に到着。南口の改札内窓口で急行券を買おうとするが機械の不調で急行券はホームで買えといわれる。あとからテッちゃんの中村まーさんが原因と思われることをいろいろと言ってくれたが、実際買えなかった物は仕方がない。
阿部さんとまーさんが来ていてザックを乗車口において早速ビールを買いにいく。阿部さんよりCC12年1本差し入れ。缶の日本酒を大量に買ってくる。
CCをテトラに移し替えて呑む。人見婦人部長、ひたすら呑む。予定どおり入線。
車中でも呑む。CC1本あける。まーさんにいきなりCLを依頼する。非常に難色を示すが何とか引き受けてくれる。就寝は3時過ぎ。
12月30日(水) 【天候】小雪 4:43穂高駅 ― 宮城5:35 ― 11:00 中房温泉 -- 合戦尾根 ― 13:30(CS)
寝付いたかと思うとすぐに起こされる。穂高駅にて予約済みのタクシーへ。予約時は特に指定していなかったがジャンボタクシーが来ていて幸運。10数分で宮城に到着。暗い中準備をして車道歩きに出発。スニーカーのまま靴袋をザックに下げて歩くが、重くて慣性モーメントがつき歩きにくい。ICIの靴袋、破れる。
1時間ほど歩いた後、全員が山靴にはきかえる。この頃、空が白んでくる。道脇についているあと何キロという表示を見ながら緩い登り坂を歩く。人見さん、ねーちゃんが時々滑っている。非常に眠い。 中房温泉直前で眠気はピークに達し、時々沢音が聞こえなくなる、完全に眠りながら歩いている。しばらくすると沢音が聞こえるようになって目がさめる。そんなことを繰り返しながら歩く。当然寝ながら歩いている間は全体から遅れる。毎度のこととはいえ車中の酒は控えなくてはいけない。
燕山荘の索道小屋の横で休み、程なく中房温泉。非常に立派になっていてびっくりした。
中房温泉脇から合戦尾根の急登。昔は急とも思わずに、あっという間に燕山荘についたものだが、今回はゆっくりとしたペースで登る。ベンチごとに休憩をくり返し登る。中村ま隊長、休憩時間が以前より短くなった。パッキングも非常に上手になりかとーさん、ムトー君のぽっきりと折れたザックに経験者ならではのアドバイスをしている。じろーさんがトップでペースを作ってくれるが、ひれひれの中村ま隊長の足どりが徐々に怪しくなってきたので幕営。時間が13:30頃と早かったが天幕にはいるとすぐに宴会が始まる。夕飯は恒例のすきやき。飽食したためアルコールの消費量が少ない。
12月31日(木) 【天候】曇 (CS)7:50 ― 10:30合戦小屋 ― 12:20燕山荘(CS) ― 燕岳往復(水野、中村ま、人見、加藤、武藤)
6:00出発の予定もむなしく皆寝坊する。出発7:50。
樹林帯の急登をゆっくりと登る。合戦小屋を10:30に通り、程なく森林限界を超える。稜線上を行けるところまで行って幕営するつもりが燕山荘まで行ったあたりで体力的に限界を迎えるもの数名。強風重荷の中で稜線歩きは不安なので燕山荘で12:20と時間的に早いが幕営。冬季小屋入り口横に設営。エスパースのフライが強風のため張れない。
天幕に入るとすぐに呑み始める。中村た、岡田、水野以外は燕往復といって出かける。じろーさんも後から出発して往復。岡田、中村たは呑みつつ汁粉を作る。今回は餅を大量に持ってきているので焼いて入れる。
1月1日(金)【天候】快晴 燕山荘 ― 散歩 ― 燕山荘 ― 富士見ベンチ(CS)
強風は一晩続き、冷え込んで朝のテント内は久しぶりに冬山らしい銀世界になっていた。気温−20度以下に下がっていただろう。エスパースに寝た3人はだいぶ参ったようで盛んに文句を言っている。元気に文句が言えるくらいならば大丈夫という気もしたが出発の遅れ、強風重荷では翌日からの日程的不安もあり往路下山を決定。
撤収後荷物を山荘脇に置き、蛙岩あたりまで散歩。天気が良く非常に快適な稜線散歩ができた。鼻歌混じりに蛙岩まで行き、記念撮影。槍に挨拶をして燕山荘に戻る。
荷物を持ち合戦尾根を下る。あっと言う間に森林限界が近づき富士見ベンチで幕営。入念に整地して快適なCSができあがる。シュラフがとばされるよなどと話をしていると、天気が良く風もなく、快適だったせいでなかなか天幕内に入ろう、荷物を入れようという気にならず、シュラフどころか突風でダンロップがとばされるアクシデントが発生する。幸い木に引っかかって止まり、事なきを得る。
1月2日(土)
【天候】曇 富士見ベンチ(CS)8:20 ― 中房温泉 ― 13:20 宮城 ― 松本 ― <JR> ― 新宿(解散)
やはり出発は遅れる。中房温泉まではあっと言う間に到着。ムーさん、ねーちゃんのボストンクラブ状ザックに中村ま隊長が的確なアドバイスをしつつ下る。中房から先の車道歩きは全長12.8kmとのことでガードレールについている距離の表示が減ることだけを楽しみに歩く。ムーさん、ねーちゃん、部長の3人のザックは壮観。中村ま隊長を見てもわかるとおり、じきに上手になるでしょう。新しいプラブーツをはいている者どもは足の痛みと戦いながら宮城到着。 来たときには暗くて気づかなかったが温泉を発見。松本で入浴の予定を変更してひとっ風呂浴びることにする。思わず猿も入る露天風呂があり、獣に近い(?)3人が露天風呂に入る。当然のごとく湯上がりにはお約束のBier。有無を問い合わせ、注文する部長のいまにも極楽に達するばかりの恍惚の表情が印象的であった。ビールがないと言われたらこの御大は本当に暴れ出すのではないかとふと心配になったのは私だけではあるまい。(本当はみんなの意見を代表していただけとの本人談)ジャンボタクシーを呼んで松本まで。奥方様のご実家である山形へ向かう部長は穂高でタクシーを下車。(後ほど結局松本まで出たらしい)
松本ではお決まりのカツ定(有名な「たくま」というお店)を食したあとラーメン・餃子・一部チャーハン(その隣の「若大将」というラーメン屋さん)を食い、車中の人となる。 なおカツ定後のラーメン屋ではねーちゃんが、大久保隊長が過去敗れ去ったラーメン餃子のフルコースを平らげたこともご報告しておこう。
第2部 感想編
その1 風雪のスカトロジー・冬山合宿感想 人見邦明
【編集者注】あまり上品な文章ではありませんのでお食事前など読むのは控えた方が宜しいかと存じます。ちなみに私は夕飯前にワープロ入力してしまい悲しい思いで夕餉を済ませました…。
私は初めての厳冬の縦走にチャレンジした。ジフィーズ等というものはまだ開発されていない時期に「風雪のビバーク」した松濤は何を喰ってこの寒さを凌いだのだろうか。私たちはワインを飲みすき焼きをたらふく喰ってぬくぬくと寝た。松濤はデポして縦走したが、私たちは日頃の飽食に輪をかけたような美食である。したがって衣食足りて礼節を忘れる。大1発目は私は木立に隠れて新雪を蹴散らし抱腹絶倒し、大量すっきり。
翌日は小雪が散らつき風も出てくる。燕山荘前に幕営した私たちはここで風雪のビバークとなった。ビバークとは通常テントを用いないが、私たちは普通の幕営である。テントを張ったらやる気は失せ、燕岳往復だけとなった。昼も夜も見境なく、ズベズベと飲みだす。2日目は豚汁と赤飯と豪勢な食事。さらに夜食にマルチャンのてんぷらそばを食す。今宵は大晦日じゃ。急に催した、Oはプラブーツを履きヤッケのフードを被り、ロールペーパーをもって重装備。風雪にスカトロジーの権威は短期集中決戦型で早い。思い切り引きつけて直前に相手をかわす、ラグビーのパスにも似た極意をマスターしている。
ごちそーさま。それでは良いお年を。ウイーとばかりに私も電柱に、いや小屋の陰で放尿。ションベンしたら寝ちまおう。ところが、どうも寝ている場合じゃない。昼からの風は一向に静まる様子はない。結んでおいた出入り口のヒモも強風で次第にゆるみ、テント内は粉雪まみれだ。着るだけ着込んでシュラフにもぐるが全然暖かくならない。風でテントは歪み一晩中KとJRと私の3人は眠ることができない。ひたすら夜明けを待つ。
朝方、まだ風は止まない。起きてガスランタンを点けてみるが風でブラブラ。ちっとも暖かくならない。それじゃとガスコンロを苦労して苦労して燈してみるも直ぐに消えてしまう。寒さで気化しないのだ。絶体絶命。手はかじかみ、あらゆる行動は不能になる。
起きてガソリンストーブを灯した隣のテントに緊急避難。そのままお茶を飲み、お雑煮を食す。そのうちご来光。明るくなってくる。と、狭いテントで窮屈な姿勢で飲食を続けているとそのうち自然の摂理が催してくる。しかも、大物だ。外では風が吹きすさぶ。
自分の欲望を抑える気力と外に出る勇気の均衡が破れ、外に飛び出す。あちこちと適地を探す。周りにはカメラマンが結構いる。かといって遠くまで行く気力もない。エイと恥と政治生命をなげうち一大決心。岩陰に仁王立ち。四股を踏み腰割り。やおら下半身を無防備にし、寒風吹きすさぶなか死を賭しての戦い。最初に豚汁廃物を一気に放出、と同時にウイスキー廃液も縮小しきった管から放水。折からの風にその進路を妨げら乱気流、さらに廃液を増量するも、それは我がゴアテックス処理のズボンの裾にかかり一気に凍結する。我が分身も湯気をたてる間もなく凍死。力を込めてさらに残存物を絞り出す。私はボラギノールの愛好者だから、我が身と外界との境目は寒風にさらされキリキリと痛い。気の遠くなるほど長い、凄まじい戦いだ。この間4分26秒。地雷に用心しつつ陣地を前進させ戦後処理。厚着をしているのでそれは大変だ。手袋に少し付いてしまったが雪でしごいてごまかす。ティッシュペーパーはあっという間に風に乗って飛んでいく。オラ知らね。
天候不順、力量不足にて燕岳から下山。合戦沢の頭にて快適な3泊目。どうやら、この山行の核心部は風雪の生活技術にあったようです。1999年元旦、私は標高2700mでウンチクを傾けていました。新年早々まったく芽デタイ話です。
今年も皆さん楽しい山行をしましょう。
皆様方におかれましては大変失礼いたしました・・・。
その2 お題・耐寒訓練合宿 加藤 まゆみ
12月30日
宮城から中房温泉までの車道歩きは退屈であった。途中、雪の下にツルツルの氷が隠れていて何回かスッテンコロリンと転ぶ。背中の荷物のせいで起きあがるのに大変苦労する。今夜の夕食はすき焼きだ。わーぃ。
12月31日
燕山荘まで歩く。ザックが肩に合わずとても辛い。春合宿の時は何ともなかったのに。踏み跡を壊しながらだらだらと歩いて注意されてしまった。いかんいかん。小屋の横にテントを張る。じろうさん、中村師匠、人見部長、ムトーカトーは燕岳山頂まで行く。強風である。顔が痛い。今夜の夕食は具だくさんの豚汁である。寝る前に年越しそばもちょっと食べ、早々とシュラフにもぐる。寒い。ダンロップのテントに無理矢理7人で寝ればとても暖かかったろうに。明日は無事に起きられるであろうか。
1月1日
私は生きていた。しかし、なかなかシュラフから出ることはできない。師匠と部長が一所懸命コンロと格闘している。ご苦労様。早くここから抜け出したい。ここからすこし降りると風もなく穏やかでとても気持ちがよい。未熟な私のせいで?計画を変更し明日下界に戻ることになる。今夜の夕食はシチューである。今夜はよく眠れそうだ。
1月2日
登りは苦労したのに下りはあっという間に中房温泉に着いてしまった。また、車道歩きか。民宿で風呂に入る。数日ぶりに靴下を脱ぐとふやけていた。熱いお湯がしみる。松本でチキンカツ定食とラーメンと餃子を食べる。寒さのせいであろうか、山ではずっとお腹が空きっぱなしであった。家に帰っても食欲は衰えず、おかげで3キロ太ってしまった。
その3 合宿の感想 武藤 良紀
12月29日、私にとって今までしょったこともない非常に重いザックを背負い、急行アルプス号に乗り込んで北アルプスに出発しました。穂高駅に降り立ち、長い長い林道を歩き、中房温泉の傍らの登山口にやっとのことでたどり着き、急な山道を登り始めました。 私にとって冬の北アルプスに登るということは初めてであり、未知の世界であるので、ひとりトキメキ、また、探険家になって秘境を冒険しているような気分でした。冬山の山道で踏みしめる一歩一歩が私の気分を高揚させると同時にザックの重さが私のエネルギーを奪い取るような感じでしたが、なんとか私自身の最高峰である燕岳の頂上にたどり着きました。 頂上では、風が非常に強く、冷たいので眼鏡が凍りつき視界がかなりせばまっていましたが、今まで写真でしか見たことのない白銀の世界にただただ目を奪われていました。そして、氷点下の世界で闊歩している自分が妙にたくましくなったものだと感心しつつ、そんな自分にひとり照れていました。また、テント内では、毎日毎日美味しいものを食べていました。 が、なかでもいまだに忘れられずに口に残っているものがあんずです。今度は私も、しこたま持参しようと思います。 それから、ザックのパッキングは、我ながらひどいもので、あまりのひどさからバックブリーカーザックと命名されてしまい、パッキング技術は今後の私の課題のひとつとなりました。 最後になりましたが冬合宿に参加されたみなさんにいろいろとお世話になりましてありがとうございました。
その4 冬合宿・雑感 中村 優 隊長
行きの電車でメガネが壊れるというアクシデント、突然CL(隊長のこと)をやれというハプニングから始まった合宿である。 寝不足のため体が重く予定の行動ができなかった。安易に手袋を脱いで凍傷になりそうになった。二度寝して寝坊してしまった。(皆に陳謝) CLのお勉強を3人の天皇より教われた。 秋行く予定の燕岳に行け嬉しく、槍の北鎌や裏銀座方面の峰々がとても綺麗であった。 経験を生かし、復習をして春合宿へと思う。また、今年の冬はリベンジマッチをしようと思う。
その5 冬合宿・懺悔録 中村 孝
今年の合宿地は比較的天候も安定し、危険な個所もない地域であることから安易な気持ちで臨んでいたと思う。が、やはりそこは冬山、しかも3000mに近い日常とはかけ離れた場所である。ちょっと、天候が悪ければ寒いことに変わりはないし、稜線で吹雪かれれば頬に刺すような痛みを感じることに変わりはない。 計画段階から、他人にほとんど任せっきりでコースについて詳しい下調べを怠っていた。宮城のゲートから中房温泉まで13kmもあるとは思わなかった(ここの地図は買っていなかった)。 ということで、私にとっては取り組む姿勢の甘い、反省すべき点だらけの山行でした。 稜友の皆さんはこれを他山の石として、いつも自分自身が計画立案者だという気持ちで山に臨み、自分の納得できる、充実した山行を実践して下さいね。
その6 感想・冬合宿 岡田 真也
今回は完全に計画完遂できると思っていたがやはり甘かった。天候はここ数年の冬合宿に比べればあまり良くはありませんでしたがまあまあの天気で、荷物も人数が良かったせいもあり大した重荷でもなく非常に好条件だったと思います。一晩少し冷え込みましたが、みなさん装備もよく一昔前の冬を思い出す程度の気温でしたので悪条件とはいえなかったと思います。稜線の風はまああんなものでしょう。 なぜ行けなかったか?馴れてるものにとっては以上の点はこんなものだよ、で済んでしまいますが初めての人にとっては見ると聞くとでは大違い、といったギャップが大きかったのではないでしょうか。あとは場数を踏んで馴れるしかないのでしょうかね。生活技術の大切さを改めて痛感しました。
ということで、今年初めて冬合宿に参加した皆さんも次回からは「冬山経験者」です。今年得た経験を生かして頑張ってもらわなければなりません!更に場数を踏み、技術と体力と知力を身につけ、来年の冬合宿では率先して行動してくれるよう望みます。
附 平成10年度 東京北稜山岳会冬季合宿報告
1.期日
平成10年12月29日(木)〜平成11年1月2日(土)
準備会 12月27日(日) 高田馬場カモシカスポーツ10:00集合
2.到達地
燕岳
3.参加者
分担 |
氏 名 |
年齢 |
性別 |
|
CL研修生 |
中村 優 |
37 |
男 |
今回、行きの車中で岡田雑用係からいきなりCLに指名され、行動中の指揮を執ることになる。 |
SL・食糧 |
中村 孝 |
38 |
男 |
食糧係として超重量級の食糧を立案。飽食の山行となる。 |
SL |
水野 二朗 |
35 |
男 |
10年前から変わらない装備は立派。 |
|
人見 邦明 |
不詳 |
男 |
呑み続けているおぢさんであった。 |
|
加藤 まゆみ |
29 |
女 |
黙々と安定して歩いているねーちゃん。時々地面でのたうち回っていた。 |
食糧 |
武藤 良紀 |
24 |
男 |
入会してすぐに冬山合宿に参加。ノースフェイスの装備類が光る。 |
SL・雑用 |
岡田 真也 |
36 |
男 |
大魔王シャザーンと化し、呑み続けているおぢさんであった。 |
4.集合場所・時間
JR新宿駅 6番ホーム 21:00頃より阿部代表を加えて集合。数年前のひれ酒事件のような事態は勃発しなかったものの車中で3時頃まで呑んでいる馬鹿者数名。
5.日程
12/29(火) 新宿23:50-<JR 急行アルプス南小谷行>-
12/30(水) 4:43穂高-<ジャンボタクシー>-宮城--中房温泉--合戦尾根--(CS)
12/31(木) (CS)合戦尾根--燕山荘(CS)--燕岳往復(水野、中村ま、人見、加藤、武藤)
1/ 1(金) (CS)燕山荘--(CS)
1/ 2(土) (CS)--中房温泉--宮城--<ジャンボタクシー>--松本--<JR>-新宿(解散)
6.共同装備
物 品 |
規格・数量 |
現有 |
荷揚者 |
物 品 |
規格・数量 |
現有 |
荷揚者 |
テント
ダンロップ
6人用 |
本体
ポール
外張 |
水野
水野
水野 |
武藤
中村ま
加藤 |
補修用具類 |
針金、ガムテープ等 |
水野 |
水野 |
救急薬品類
ラジオ
|
AM/FM
|
加藤
水野
人見 |
加藤
水野
人見 |
テント
エスパース
4人用 |
本体
フライ
ポール |
水野
水野
水野 |
岡田
岡田
中村た |
天気図用紙 |
|
岡田 |
岡田 |
スコップ
|
ピッケルにつける物
ピッケルにつける物 |
中村た
岡田 |
中村た
加藤 |
ストーブ
|
PEAK1
PRIMUS |
岡田
中村た |
加藤
中村た |
液晶TV |
|
岡田 |
岡田 |
燃料
|
ガソリン2リットル
ガソリン2リットル
ガソリン2リットル |
購入
購入
購入 |
岡田
人見
武藤 |
トランシーバー |
144MHz/430MHz |
岡田 |
岡田 |
ツェルト
|
2−3人用
2−3人用
2−3人用 |
岡田
中村た
人見 |
水野
中村た
人見 |
粉末燃料 |
|
武藤 |
各自 |
EPIカートリッジ
|
|
各自
|
各自
|
カメラ
|
|
中村た
岡田 |
中村た
岡田 |
EPIコンロヘッド
|
プリムス等でも可
|
岡田
人見
中村ま |
岡田
人見
中村ま |
雪用ビニール袋 |
数枚 |
購入 |
武藤 |
テルモス
|
500cc
500cc
500cc |
岡田
中村
人見 |
加藤
武藤
中村ま |
ランタン
|
含スペアマントル
|
人見
水野 |
中村ま
水野 |
ザイル |
|
中村た |
中村た |
コッヘル
|
|
水野
人見 |
水野
人見 |
メタ |
|
岡田 |
岡田 |
裁縫用具 |
|
加藤 |
加藤 |
大鍋 |
|
人見 |
人見 |
工具 |
|
水野 |
水野 |
たわし |
|
中村ま |
中村ま |
コンロ下敷板
|
|
中村た
|
中村た
加藤 |
スポンジ |
|
中村ま |
中村ま |
7.個人持ち共同装備(必携)
EPIカートリッジ(寒冷期か厳冬期用) |
○ |
トイレットペーパー |
○ |
銀マット |
○ |
|
|
8.個人装備
(確認欄の ○は必携、△は任意)
物品名
|
確
認 |
物品名
|
確
認 |
物品名
|
確
認 |
物品名
|
確
認 |
シャツ
ズボン
予備シャツ
予備ズボン
防寒具(フリース等)
下着
替え下着上下
靴下
替え靴下
ヤッケ上下
スタッフバッグ
シュラフ
シュラフカバー
マット
テントシューズ |
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
△ |
雨具
目出帽
毛手
替え手袋
オーバー手
スパッツ
スパッツゴム予備
登山靴
靴ひも予備
ザック
サブザック
水筒(1〜2g)
ライター
ビニール袋
コンパス |
△
○
○
○
○
○
△
○
○
○
○
○
○
○
○ |
食器
武器
カップ
ナイフ
ヘッ電
予備電池2回分
サングラス
ゴーグル
時計
地図
(2.5万槍ヶ岳)
(2.5万穂高岳)
(2.5万上高地)
(2.5万有明)
|
○
○
△
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
|
筆記具
健康保険証
身分証明証
手拭い・バンダナ等わかん
カラビナ
ハーネス
シュリンゲ(2〜3)8環
卵
餅
レーション
ピッケル
アイゼン(12本爪)
|
○
○
○
○
○
○
△
○
○
○
○
○
○
○
|
9.食糧
食料担当武藤良紀、中村孝
月 日 |
朝 食 |
夕 食 |
12月30日
|
各 自
|
すき焼き+α米(山菜おこわ) |
卵は個人装備
肉250g 白菜( ) しらたき(
)
麩(適量) わりした(適量)
α米の山菜おこわ(1/2袋)
春菊( ) 椎茸(適量) エノキ( )
荷揚者( 中村た ) |
12月31日
|
雑 炊 |
とん汁+α米(赤飯) |
α米(0.5袋)
具は残り物を入れる
☆ 前夜のすき焼きで少し肉その他を残しておく。
荷揚者( 武藤 ) |
肉50g 人参(1/3本) ジャガイモ(4/5個)
タマネギ(1/2個) ゴボウ(適量) 大根(適量)
ワカメ(1/2袋)
だしの素( ) お味噌( g)
α米の赤飯(1/2袋)
荷揚者( 水野 ) |
1月1日
|
雑 煮 |
シチュー+ジフィーズ(ドライカレー) |
餅2個 椎茸(適量)
鶏肉30g 蒲鉾(適量)
塩、しょうゆ
荷揚者( 加藤 ) |
肉50g人参(1/3本) ジャガイモ(4/5個)
タマネギ(1/2個) マッシュルーム(1/2缶)
シチューの素(人数×1.5)
ジフィーズ(1袋)
荷揚者( 岡田 ) |
1月2日
|
麺 類
ラーメン(1/2袋)
荷揚者( 人見 ) |
|
※量は1人あたりのもの
※年越しそば 岡田
※とん汁、シチューはペミカンを作る。
※予備食は ジフィーズ、その他( )
調味料 |
しお、こしょう、一味唐辛子、だしの素、味噌(
500g)、油少々コーヒー(200g) |
飲み物 |
クリープ(200g) 、砂糖(1000g) 、紅茶、お茶、ココア |
荷揚者 (中村ま)
※入山日の朝食及びレーション(予備食を含め7食分)、卵、餅は各自で準備
10.行動の記録
12/29(火) 新宿23:50-<JR 急行アルプス南小谷行>-
阿部代表の見送りで泥酔者を出すこともなく出発。CC12年ものを差し入れにいただく。日本酒缶、ビールを無数に消費。
12/30(水)小雪 4:43穂高-<ジャンボタクシー>-宮城5:35--11:00中房温泉--合戦尾根--13:30(CS)
宮城まで予約してあったタクシーで向かう。ジャンボタクシーを指定してあったわけではないが幸運であった。宮城から中房まで宿酔いもあり、眠りながら歩くものもいる。中房温泉から合戦尾根の急登。ベンチごとに休憩を繰り返し登る。
12/31(木)曇 (CS)7:50-10:30合戦小屋--12:20燕山荘(CS)--燕岳往復(水野、中村ま、人見、加藤、武藤)
中村ま隊長の6:00出発予定を大幅に遅れ、出発。数人の足取りが怪しくなってきたので燕山荘の脇に幕営。
1/ 1(金)快晴 (CS)-散歩-燕山荘--(CS)
強風と寒気に苦しみアイゼンお揃い3人組の他は参っている。出発に手間取り、さらに重荷強風下での行動は初心者には不安とのことで往路を下山することにする。天幕撤収後空身で蛙岩方面まで散歩し、記念撮影の後燕山荘から荷物を持って、森林限界直上で幕営。大変快適なサイトであった。
1/ 2(土)曇 (CS)8:20--中房温泉--13:20宮城--<ジャンボタクシー>--松本--<JR>-新宿(解散)
CSから中房温泉まではなんと言うこともなくあっという間に到着。中房温泉から宮城まで12.8kmの車道歩きが辛い。武藤、中村ま、岡田の新品プラブーツをはいてきた3人は靴ずれに苦しむ。 宮城で入浴、乾杯をし、タクシーを呼ぶ。松本で豚カツ類を食べ、さらにラーメン餃子を食うものあり。18:3X分のスーパーあずさで新宿へ。