ラッセルたんまり…阿弥陀岳南稜

部長

期日:2009年1月31日〜2月1日
参加者:深沢(CL)、笹田、部長、ニシノ


1月31日
10:30舟山十字路…11:30旭小屋…13:30立場山…14:40幕営地
2月1日
6:00幕営地…9:00無名峰…P3 11:20…阿弥陀岳11:40…行者小屋12:50(13:10出発)…美濃戸口15:40

 内緒だが中止にならないかと念じていた。都内は大雨で意気が上がらない。意を決してカッパを着、ザックカバーをつけて出発した。だが、天候は好転し初日は曇天、2日目は完璧な快晴となった。入山者がいるだろうとの予想を裏切り、私たちと他の1組だけしか入山していない。大量の新雪、ラッセルをたっぷり強いられる山行となった。2日目は私たちが先行、時折腰まで没するラッセルに苦しめられる。念のために持ってきたワカンが活躍、こってりシボられる、結果として充実の山行となった。

   初日。ずっとトレースが付いているから「楽勝」といい気になって歩く。しかし後半はバテバテ。予想どおり立場山までは体力勝負となった。先行の2人組に追い付いてからは、深沢棟梁の力強いラッセルに先導される。青ナギ手前の林間の平地にテントを張る。
 テント内では宴会部長が当然牢名主となる。入山儀式は笹田親方の砂糖たっぷり温ワインから始まり、水を作りながら持ち寄りの肴で盛り上がっていく。ただ、軽量化路線が徹底していて酒量は控えめだった。部長は暴れることもなくこぢんまりとまとめる。こんなにおとなしいテント生活もめずらしい。夕食は100円ショップで求めた食材を使ったカレー。食後に鍋底をパンでこそげ取る、食担ニシノがエコに配慮した格安路線でまとめている。
 風はうるさいが、おおむね快適に寝られた。0時に小用で起きる。積雪はたいしたことない。朝方には星空が広がっていた。

 2日目は4時起床、6時発。わかん装着で出発。いったん青ナギに下ってから無名峰へと登っていく。ラッセルのシフトをとるはずが、メタボクライマーの悲しさ、腹が邪魔で足をあげるのが辛くて、トップ交替がままならない。セカンドでも追い付いていけないのが情けない。親方から「水すまし」歩行術を教えられたが、試してみてもずぼっと踏み抜いてしまい、何度もステップを固める不経済歩行になってしまう。天候は回復しているのに、オラの足はなかなか回復しない。息は絶え絶え、最後尾をついていくのがやっとだ。無名峰山頂で後発の二人組もやってきた。
 P1の手前にカメラマンが単独テントで撮影に来ていた。彼のカメラマン魂には頭が下がる。ここでワカンからアイゼンに履き替え、ハーネス、メットをつける。岩稜にも雪がつき、ここでもラッセルを強いられる。ピーカンで富士山はばっちり、目の前の赤岳は雪景色がまぶしい。

無名峰へ向かう登り。樹林をラッセル 無名峰から阿弥陀岳方面を臨む
阿弥陀岳の岩峰 アイゼンと登攀具を装着


 核心部のP3。岩稜のルンゼも雪に埋もれ雪壁登攀となった。確保するにも支点がとれないのでノーザイルで行動。足を滑らせたらどこまでも滑っていくだろう。緊張を強いられる雪面を、棟梁がルートを確実に伸ばしていく。替わった親方もリズミカルに小刻みにトレースを作っていく。細長くのびる雪壁が真っ青な空に突き上げている。無言でそれに挑んでいく。セカンドのニシノは、そのトレースをぶっ壊し、ステップを必死に作りながら追っていく。激しい息遣いを繰り返し、それでも頑張っている。ラストの部長は安定した足跡を律儀にたどるが、それでも足は重くスピードが出ない。緊張の連続に冷や汗とアドレナリンが噴き出し、喉はカラカラ、何度も生唾を飲み込み肩で息をつく。這々の体で核心部をクリアする。
 P4なのか、P5なのかも分からないまま、棟梁についていくと平らな丸い雪原にひょいと出る。モンブランのピークに似ていた。14年前、スイス・イタリア国境の山頂で職場の同僚と抱き合い涙したことを思い出す。ぐっときて隊長に握手を求めていった。阿弥陀岳南稜。自分が伸ばしてきた苦闘のトレースが愛おしく見える。
 労苦からの開放感。それが充実感に昇華するには下山路が意外によくない。へっぴり腰と後ろ向きで慎重に下りていく。雪崩が心配な中岳沢は駆け下りた。出発する頃、棟梁と親方が「(当初下山ルートに使う予定だった)御小屋尾根はトレースがなく時間がかかるから、行者小屋に下山」と判断していた。この話のとき、ニシノは内心狂喜していたという。登攀装備をはずし、口数も少なく美濃戸口へ歩いていった。

雪壁と化したP3の登り 雪壁をラッセルする棟梁
P3最後の登り P3のてっぺんから南アルプス方面を望む
山頂まではあと一息 阿弥陀岳山頂に到着!


 厳冬期とはいえ好条件に恵まれました。覚悟はしていたものの、私にとっては最上級のラッセルに泣かされました。着実に登りきれる体力、適切なルートを見極められる判断力の重要さを再認識させられました。4人の個性が緩やかに絡みあい、支えあい、ハードだが楽しい冬山登山になりました。皆さんに感謝します。