三つ峠(マムシ沢、屏風岩)
ミナト
期日:2011年2月26日〜2011年2月27日
参加者:笹田(CL)、あつこ、ミナト(記録)
2月26日
三つ峠駅〜だるま石〜マムシ沢遡行〜屏風岩下(ビバーク)
2月27日
屏風岩(アイゼントレ)〜表登山道下降〜だるま石〜三つ峠駅
準備
今回の山行は、三つ峠のマムシ沢の滝をアイスクライミングしながら屏風岩まで遡行しビバーク、翌日に屏風岩でアイゼントレを行ってから下山するという、およそ素人では考えつかない計画だ。もちろん起案者は、素人でない笹田親分である。さらに、軽量化を徹底するので、テントやシュラフ等の余分なものは削除する条件が付けられた。三つ峠とはいえ2月の厳冬期であり、ツェルトとシュラフカバーのみでは、相当の寒さであろうことは誰でも想像できる。これは大変な計画に参加表明してしまったと思ったが、後の祭りであった。しかし、同様に生命の危機を感じていたあつこ先輩の涙ながらのお願いにより、乙女の涙に弱い親分はホカロンと敷きマットの使用をあっさりと許可した。あつこ先輩ありがとうございます!これで私も救われました。
2月26日
9時に三つ峠駅に集合、天気は快晴、登山者は我々3名のみ。富士山を眺めつつ舗装路を1時間ほど歩くと、だるま石に到着。ここで表登山道から分かれ、マムシ沢に向かう。地形が複雑でよくわからないが、笹田親分が40年前の記憶を頼りに、これがマムシ沢だと言うゴーロの枯れた沢を進んで行く。両側が迫ってきてゴルジュ状になると、ようやく沢床に雪が現れてきた。アイゼンを蹴り込み、バイルを振り回し、わずかな氷曝を皆で楽しむ。ミナトは買ったばかりのアイススクリューを意味もなくクルクルとねじ込み嬉々としている。やがて2メートル程の凍ってない枯れ滝に行く手を阻まれる。トップのミナトは悪戦苦闘、最後は笹田親分を踏み台にするという暴挙にでるが、それでも越えられない。降参し、親分にトップを代わってもらう。親分は、難なくクリアーし、力の差をまざまざと見せつけられてしまった。その後、沢はルンゼ状の凍ったナメになり、尾根に突き上がり終了となった。ここからは、岩稜混じりのヤブ尾根を屏風岩目指して登り詰めることになる。ここで、元ヤブ山屋であったミナトのヤブ山屋魂に火が付いてしまった。そして、勝手に先頭に立ち、アドレナリン全開でヤブ岩尾根登りを楽しんでしまい、あつこ先輩のヒンシュクを買うことになってしまった。あつこ先輩、申し訳ありませんでした。反省しております。
ようやく屏風岩取付き地点の登山道に這い上がると、時刻は17時であった。しかし、笹田親分はさらに天狗の踊り場まで行きたい様子なので、「ここでビバークにしましょう!」と必死に説得する。またまたあつこ先輩の涙ながらのお願いに、親分は「じゃ、そうしよっか。」とあっさり同意した。あつこ先輩が参加してくれていて本当によかった。先輩がいなかったらと思うと…。
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マムシ沢分岐目印の大岩 |
ようやく雪が現れる |
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3mほどの氷瀑を登ります |
正面突破の笹田さん |
2月26日夜〜27日朝(ビバーク)
なんと言っても今回の核心は、厳冬期にシュラフなしで一夜を過ごすという拷問のような、とても常人では考えもつかないビバークを実行することである。はたして、我々は朝まで生きていられるのであろうか?(ちょっと大袈裟か)。
登山道に2張のツェルトを張ってから、夕食の準備に取り掛かる。インスタントラーメンのみというミナトの当初計画にあきれた笹田親分が、「オレが食担する!」と自ら包丁を振るい調理したまぼろしの笹田スペシャル中華粥を頂く。これが本当に絶品で、アルファー米がこんなに美味しくなるなんてビックリものである。山屋歴45年から生まれた逸品はさすがであった。食後のアルコールは軽量化の為に削除されたので、アルコール無しでしばらく談笑するが、すぐに寝る段取りになってしまった。
時刻はまだ7時である。ヤッケや替え靴下まですべて着込み、シュラフカバーにくるまる。初めは、夕食の温かさが残っていてそんなに寒くはなく、疲れも手伝いすぐに寝入ってしまった。しばらくして寒さと風の音で目が覚める。時計を見ると、まだ10時であった。外は強風が吹き荒れ、ツェルト内にも寒気が入り込み、すごく寒い。しかし、もう着る物はなく、朝までこのまま我慢するしかない。隣のツェルトの笹田親分とあつこ先輩は、大丈夫なのだろうか?すると親分が「隣のミナトはちゃんと生きているかな?」とおっしゃるのが聞こえた。「さっき、イビキをかいていたから大丈夫でしょう」とあつこ先輩。やはり、隣組も寒さで寝られないようである。そして、なんとあつこ先輩は腹筋運動を行って体を温め、寒さをしのいでいるようである。しばらくうつらうつらしてから時計を見たが、まだ0時だった。ふと、以前雑誌で読んだビバークに関する記事を思い出す。それには、シュラフカバーの入口をぴったりと閉じて、自分の呼吸でカバー内を暖めるとよいと記載されていた。さっそく実行してみると、温かい空気がじわりと体を包み始め、さっきよりはずいぶんマシになってきた。「こりゃいいわ!」と喜んでいると、いつしか寝入ってしまった。
笹田親分の「そろそろ起きるか」との声で目が覚めた。やった、とうとう朝を迎えることができた!極寒の夜をシュラフカバーのみで耐えた達成感と、太陽の陽の暖かさが嬉しい最高の朝であった。
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本日の我が家 |
下山路からの富士山 |
2月27日
朝食は、またまた笹田親分が用意したソーセージのスープに、バターとはちみつ付きバケット。温かくておいしく、そしてスイスアルプスでの朝食を思わせるようで、とってもオシャレだ。
午前中は屏風岩でアイゼントレを行い、その後に下山する予定であったのだが、ミナトがアイゼントレ中に、不注意による左肩脱臼のアクシデントを発生させてしまう。これにより、アイゼントレを中断させることになってしまい、笹田親分とあつこ先輩に多大なご迷惑を掛けることになってしまった。まことに申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫びいたします。
その後は、三つ峠駅まで表登山道をゆっくりと下山し、駅前の中華屋で打ち上げをして終了となった。
今回は、読図、アイスクライミング、ヤブ岩稜登攀、耐寒ビバーク、アイゼン岩トレ、のんびりハイクと、短い日程でも非常に盛りだくさんの内容であり、さらに、残置ハーケンを信用してはならないことを身をもって学ぶこともできた、とても充実した山行であった。そして、未熟者の私を終始リードして下さった笹田さんとあつこさんには大変感謝しております。本当にありがとうございました。
最後に、山行の間ずっと見え隠れし、我々を見守ってくれていた白く輝く富士山が、とても印象的であったことを付け加えておきます。