欧州アルプス

カト

期日:2011年7月5日(火)〜29日(金)
ホテル10泊、幕営8泊、小屋5泊の23泊25日間
参加者:笹田(L)、武蔵、カト



(総括:)
 ・ヨーロッパの天候が不順の中、天気に恵まれ登頂率20%と言われるモンブラン(7/11-12)登頂、ミディ・コスミック山稜(7/15)、ドロミテ・チマグランデ北東稜(7/19、2ピッチ残し撤退)の登攀ができたことは笹田Lの長年にわたる調査研究・卓越した力量、武蔵先輩の経験などの力によるもので、初心者の域を出ない私が素晴らしい経験をさせていただいたことは全くの幸運であり、ただただ感謝あるのみ。
 ・グレポンは天気に恵まれずチャレンジできなかったが、上記登攀は悔しい思いを上回るほどの達成感、満足感を得た。
 ・笹田Lの英語力のお陰で毎日が普通に生活できたことも特筆ものだ。特に、私の英語力ではこれまでの海外は食いたいものが食えないと言うのが常だったが、今回だけは好きなものを好きなだけ食べ快適な生活ができた。これも感謝したい。また、幕営の食事はすべて武蔵先輩、笹田Lが作ってくれて私はただ食べるだけ。すまないという気持ちより、器用さと美味しさに感嘆。
 ・反省は沢山あるが最もいけないことは、コスミック山稜、チマグランデの事前勉強をしていなかったことだ。コスミック山稜は途中から雪原に下りるのかなと考え、また、チマグランデはまさかあの岩峰に登るとは前日まで考えていなかった。前日の偵察とルート解説を見て眠れなくなったほど。

7/5(火)晴(パークホテルスイス泊Park Hotel Suisse)
成田10:45KL862=14:40アムステルダム17:05KL1933=18:20ジュネーブ(車1H)18:30=20:45シャモニ
 藍澤さんが見送ってくれ餞別をいただく。飛行機はほぼ時間通りに飛ぶ。

7/6(水)晴一時小雨(行動6時間)(パークホテルスイス泊Park Hotel Suisse)
シャモニパークホテルスイス9:00(バス、ロープウエイ)=10:00アンデックス2,385m…赤い針峰群中腹山上湖ラックブラン2,352m…フレジェール1,877m(ロープウエイ、バス)=15:00頃シャモニ
 ホテルの食後3人でテラスに出てワインを飲みながら針峰群を見る。左からグランシャルモ、グレポン、プレチエール、プランのとんがった先が天を指すようだ。

7/7(木)晴(行動7時間)(ボンノム小屋泊Refuge de la croix du Bonhomme)
シャモニ(車)8:30=9:30登山口…10:10ノーツルダム・ド・ラ・ゴルジュ1,250m…11:10ボンノムコル2,329m…13:50クロ・デュ・ボンノムのコル2,479m…16:30ボンノム小屋2,433m

7/8(金)晴一時雹(行動時間10時間)(エリザベッタ小屋泊Refufe Elisabetta)
ボンノム小屋7:00…8:00フーのコル2,665m…10:50グラッシュ谷1,789m…11:40モッテ小屋1,870m…15:10セーヌのコル2,516m(仏伊国境)…17:00エリザベッタ小屋2,258m
 花いっぱいの登山道を行く。途中雹が降る。

7/9(土)晴(行動時間8時間)(ボートンドールホテル泊Bouton D’or Hotel)
エリザベッタ小屋2,258m7:20…8:00コンパル湿原2,000m…13:00シェクルイのコル…15:20クールマイユール1,210m

7/10(日)晴((ホテルアルピナ泊Hotel Alpina)
クールマイユール10:35=モンブラントンネル=11:00過ぎシャモニ
 夕食はシャモニ唯一の日本食レストラン「さつき」。お通しがひじき、さつま揚げ。メインがとんかつ、てんぷら、肉の網焼き、すし、焼鳥にご飯と味噌汁。ビールはキリンの一番搾り。地ビールは気が抜けたようであまりうまくない。この後、ワイン、チーズ、野菜などを買ってホテルのテラスでシャモニ針峰を眺めながらまた一杯。21時過ぎまで飲む。

7/11(月)晴(行動時間5時間40分)(グーテ小屋泊Refuge du Gouter)
シャモニ7:40(バス)レジュース8:15(ロープウエイ)la chalette…ベルビュー(登山電車)9:20ニーデーグル9:50…テートルース小屋12:20…グーテ小屋15:30
 いよいよモンブランに向かう。シャモニからバスでレジュースのロープウエイ駅まで行くのだが、乗り越して帰りのバスで当該駅に下りる。ロープウエイ駅la chaletteから数分で歩いて登山電車のベルビュー駅から終点のニーデーグル駅に着く。ここがモンブランの登山口だ。日本人ツアーが氷河見物に来ている。彼らに激励を受けて9:50出発。ガレた登山道の急登を繰り返えす。アイベックスが群れで姿を見せる。エリザベッタ小屋ではあれほど珍しく騒いでいたが、ここでは何頭も現れる。12:20、テートルース小屋脇を通過。ここから雪渓歩き。13:30頃落石で有名なクーロアール。前のパーティーを待っている間もばらばらと落石がある。私が小走りで渡る。渡っている間、落石の音がしたらしいが、左耳が聞こえない私は全然気がつかない。クーロアールを渡ってからが岩稜帯となる。グーテ小屋まで標高差600mの急な岩稜帯を登る。15:30グーテ小屋に着く。5時間40分かかるがコースタイム5時間だからまあまあだ。
 ここで事件が発生する。我々の予約が入ってないという。ひだまり山荘の荻原さんが予約と取ってくれたシャモニ在住の白野さんに携帯で確認するとリコンファームしていないとのこと。笹田Lが折衝するが山小屋の住人は取り合ってくれない。食堂に寝ろという。最終組がきてまだ空いていたら部屋に泊める、また、食堂に寝る場合でも敷物を優先して使わせるということで落ち着く。しかし、小屋は身動きができない状態でテーブルに着いたまま強い西日を受けて頭がくらくらしながら最終組を待つ。待つこと4時間以上。最終組が食事を終っても何の反応もない。敷物もいつの間にか1枚もない。周りは予約なしのドイツ人やガイドらで一杯。ガイドは早々にして自分のスペースを確保して寝てしまう。9時過ぎに小屋の従業員が食卓を掃除して寝ろという。笹田Lから仕方がないから寝ようということで、笹田Lと私のツエルトを床に2枚敷きその上で寝る。笹田Lはテーブルの上に寝る。外は満天の星。明日のよい天気らしいことだけが救いだ。

7/12(火)晴(行動時間13時間20分)(ホテルアルピナ泊Hotel Alpina)
 グーテ小屋3782m2:40…ドームデグーテ4304m…バロ小屋4162m5:00…モンブラン4810m7:55/8:20…グーテ小屋11:20…ニーデーグル16:00=シャモニ
 起床0:30。パン、チーズ、スープ、ジュースの朝飯。スープの中にチーズを入れて食す。おいしいのでスープのお代わりをする。2:40ヘッデンを照らして出発。登山者が続々とつながる。我々はガイドなしなのでマイペースの歩行。ガイドの歩くスピードは速く何組もパスさせる。雪は締まって気持ちよくアイゼンが決まる。ひどく寒く気温はマイナスだろう。シャモニのスネルスポーツで買ったハイドレーションパックのホースが凍ってしまい水が飲めない。ドームデグーテを巻き、下って登り返すとバロ小屋。小屋は鉄梯子を登って狭い入口から入る。中は暗い。水と食料を補給する。武蔵先輩が手の凍傷の危険を訴え、ここで待つという。見ると手先が真っ白になっている。武蔵先輩を残して頂上に向かうのはさびしいが無理は禁物。さすがベテラン引き際を心得ている。
 更に登ると寒さで頭が締め付けられるように痛いのと大キジをもようしてしまい上と下を我慢するのが辛い。ピークらしきを期待して雪稜を登るとまだ遥か先にまたピークらしきものがある。ピーク手前の雪稜で日本人が滑落者をザイルで止めている。良く見ると急斜面に外人が這いつくばって上がろうとしている。これがガイドだという。上がったガイドは頭をかいて苦笑い。日本人のガイド料はちゃらに値する。
 ピークを2度3度繰り返すと本物のピークに達する。7:55。記念撮影もそぞろに良いキジ場はないかきょろきょろする。モンブランの頂上はだだっ広くとても隠れてするような場所はない。仕方なく、登ってきた延長のミディ方面への踏み跡があり、少し下った斜面で用をたす。ピークからは見えるはずだが背に腹は代えられない。頭の痛さはウールの帽子を被ることで温かくなって治る。
 8:20下山開始。ピークから降りて間もなくまた滑落者がいる。今度は100mほど下のくぼ地まで落ちていてガイドが救助作業をしている。笹田Lが救助者に訓練かと言うとなんでこんなところで訓練かと訝られる。ヘリも出動している。救助ザイルの支点はザイルを下す逆の斜面に雪稜をぶち抜いて取っている。笹田L曰く、アイススクリューで抜いているのだろうとのこと。滑落者はあと10mほどのところでへたって手足を伸ばして引きずり上げられる。やっと我々を通してくれる。狭く細い踏み跡を救助ガイド3名と滑落者をよけながら危うくかわす。
 ニーデーグルの駅が見える。16:10発の電車に乗るべく駆け足で下るが、予約制だと言うことで乗車できない。笹田Lが次の電車16:50を予約する。ロープウエイ、バスを乗り継いでシャモニに帰る。18:00頃。モンブランの登頂祝いはシャンペンで乾杯を予定していたが、皆そばが食いたいという。ミディ行きロープウエイ駅近くの韓国レストランでラーメン、餃子、ヒールを食す。なんだかいつもの山行の下山祝いとあまり変わらない。
 帰りにホテルでの二次会のためにワイン、チーズなど食材を買い、ホテルのテラスで反省会を22時過ぎまでやる。

モンブランニーデール登山口 モンブラン登頂!笹田Lとカトさん

7/13(水)雨(ホテルアルピナ泊Hotel Alpina)
 本日は雨。終日休養。モンブラン2日間のあの天気は奇跡的だ。
7/14(木)雨(メールドグラスキャンプ場幕営)
 ひだまり山荘メンバーの荻原さんと池田さんは本日帰国フライト。我々はタクシーでシャモニ郊外のメールドグラスキャンプ場に移動。水洗トイレ、シャワー、洗濯場、コインランドリー、ミーティングルーム、充電装置などの施設が整い充実したキャンプ場。1人一泊10?程度。
 テント設営後、武蔵先輩が昼食をつくる。乾燥野菜入りラーメン。昼飯後、シャモニへ歩いて買い出し。歩道の脇には木イチゴが食べ放題。市内に流れるアルヴ川ではラフティングを楽しむ人たち。16:00からシャモニ観光案内所のベルナデットさんに今後の天気を聞く。16日(土)午後から天気は回復するという。スネルスポーツでガス大1、小1とスーパーでビール、ワイン、野菜、パンを買う。
 レンタカーの予約に営業所に行くがフランスの国民の休日「バスティーユの日」(パリ祭)のため休業。夕食は武蔵先輩がつくる。イワシ蒲焼、昆布つくだ煮、味噌汁、ご飯。

7/15(金)晴(メールドグラスキャンプ場幕営)
 コスミック山陵へ。4:00起床。6:55のバスを待つが時間を間違えたようだ。7:40に乗る。ケーブルカーでミディへ、9:30トンネルのドアを開けると両端の切れ落ちた雪稜が真下に落ちている。覗いただけで体が硬くなる。へっぴり腰で下り氷河に下りる。雪原をコスミック山陵の麓から右に回り込んだところが取付き点。
 笹田LのD50mザイルに武蔵先輩、カトを繋ぐ。10:35スタートし、25mの短いピッチを刻みミディ展望台まで15ピッチ16:45終了、6時間15分を要す。花崗岩はどこを触っても手に吸い付くようだ。懸垂下降用の支点を除きランニング用のハーケンなどほとんどない。笹田Lの自己ビレーの支点は大きな岩や岩の間にシュリンゲのこぶを噛ませるなどしている。途中2回の懸垂下降、スラブ壁、急雪壁の下り、チムニーなど難しい場面もあった。展望台に上がる鉄梯子を登ると観光客が温かく迎えてくれる。
 下山後、無性に肉が恋しく、レストランでステーキを食う。

コスミック山稜 e5稜5Pフォローをビレーする笹田L コスミック山稜 e5稜8Pからの絶景

7/16(土)晴後雨(イタリア、リベーラ、ホテルエルヴィラーゼ泊)
 ドロミテに移動。天気が回復しそうにないので、後半に予定していたドロミテを前倒しすることになった。13:00シャモニスタート。スイスを経由する道路を行く。笹田Lと武蔵先輩が交代で運転をする。私も少しハンドロを握らせてもらうが慣れない左ハンドルと右側通行で縁石を擦ったり乗り上げたり手こずる。ナビに徹しお二人に運転を任す。いくつもの古い街並み、細い道路・石畳、山岳道路を走る。スイス・リベーラ湖のほとりの町リベーラは大観光都市。これらを経てスイス・イタリア国境近くのイタリアの田舎町、リベーラの小さなホテルを宿にする。19:00。ここまで312Kmを走る。
 夕食はビール、ワイン、パスタ、サラダに満足する。特にワインはこのホテルの極上ワインを飲む。

7/17(日)雨(イタリア、モエナ、ホテル・パリ―ディ泊)
 9:15スタート。イタリアの田舎道を行く。湖のほとり、高原、スキーリゾート地などを経てドロミテの町コルティナ・ダンペッツォの手前の町モエナのホテル・パリ―ディを宿にする。ホテル泊の折衝は笹田L。2名分のベットしかないと断れてしまうが、シュラフで寝るので3名止めてほしいと粘りの折衝。OKが出る。夕食の予約が必要で宿の主人はコース料理を説明するが兎のステーキを出すというのをこちらが分からない。跳ねる真似をしたので何となく兎と分かったが、どの様な料理かが不明。宿の主人やおら伊―英語辞書を引き出して英語で「ステーキ」と言う。何だ兎のステーキかと分かるがパスする。
 後でほかのパーティーが食べているのを見てちょっと味わいたい気分になる。ここの夕食と朝食は素晴らしいの一語。ワインは我々通になったものとしては今一であったが。
 ベッドは当然先輩優先。私がベット間にシュラフをセットして寝る。天井が見えるだけも良い環境と幸せを感じる。

7/18(月)雨(ドロミテ、ラバレッドヒュッテ泊)
 Hパリ―ディ9:00スタート。いよいよドロミテの石灰岩の独特の景観が始まる。ドロミテのスキーリゾート、サッス・ポルドイ9:50。コルティナ・ダンペッツォ11:30。ミズリナ12:20。ここまで累計820Kmを走る。ラバレッドヒュッテまで歩く。13:50着。
 小屋は内外ともにきれいだ。部屋は広くベッド3〜4が楽に入っている。明日の偵察を笹田Lと行く。チマグランデがどこかも分からない。コルに行って大きな三つの岩峰が手前からチマピッコラ、チマグランデ、チマオベストと笹田Lに教わる。その夜のミーティングでチマグランデ北東稜550mのルート概要を知る。なんと勉強不足なのか反省。この夜はチマグランデの垂壁が目の前に出てきて寝られない。
7/19(火)晴(ドロミテ、ラバレッドヒュッテ泊)
 5:00起床。小屋で用意してくれたパン、ジュースなどを流し込み5:50スタート。小屋から20分ほどの稜線のコルまで行き、3つ並んだ岩峰の一番手前のチマピッコラとチマグランデとの間の雪が詰まったガリーを登る。チマグランデ取付点はこの15mほどの雪のガリーをトラバースした地点。笹田Lは運動靴で雪の上の小さな落石を踏んで渡る。武蔵先輩は無難に渡ってしまう。私は雪の急斜面を見ただけで色を失いハンマーのピックを打ち込みながら武蔵先輩が雪面を切ってくれた跡を辿ってを恐る恐る渡る。何だか私にとってここが核心のような気がした。
 フラットソールに履き替え、笹田Lの50mザイル2本(9mmS、8.5mmD)を武蔵先輩、カトがそれぞれ結び、いよいよスタートだ。7:30。1ピッチ、チムニーの様なところに雪が半分詰まっている垂壁を登る。厳しい。コスミック山稜の素晴らしい花崗岩と異なりここは石灰岩。登り始めはしっかりしていたが上に行くほどもろくなり、手のひら大の大きなガバが2度はがれた。ルートの目印になるようなものはなく広い岸壁を笹田Lはザイルをするすると延ばす。お互いのビレーはすべて肩がらみ。笹田Lのセルフビレーはハーケンなどないのでかなり工夫したことと思う。ランニングの支点も何箇所かナッツを使い私が回収した。
 14ピッチ、13:00頃となりのチマピッコラを見下ろす位置に上がる。下のコルからはトレッキングの人たちが大勢で我々を見上げている。
 16ピッチ、15:00、バンドで左に大きくトラバースして広いテラスに出る。残すところ約60〜70mの2ピッチ。ここまで7時間30分。笹田Lここで撤退の判断をする。しかし、私は大きな達成感、満足感と安堵の気持ちを強く感じた。
 だが本当の核心はここからの下山にあった。このテラスに懸垂下降用の支点がフィックスされている。最初はザイル2本を繋ぎ50mの下降。次からは繋ぎ目が岩に引っ掛かることを懸念して1本のザイルにして25mを2回下降。日本だとルート目印のペンキなどがふんだんにあるがここはほとんどない。笹田Lのルートファイティングの巧みさが発揮される。もっとも悩んだところは上から急降下して右の斜面を下った突き当たりだ。まだ半分も下ってないと思う。行き止まりでチマピッコラ側のガスが漂う深いガリーとなっている。ここに懸垂下降の支点がセットされている。笹田Lここではないと判断し、引き返す。すると声がするので、地元の人たちかと期待するが英国の19歳と20歳の若者だ。笹田Lが違うぞと言っても我々が行った方面に行く。先に様子を見に行った笹田Lがルートはこっちだと声がかかる方に我々は急ぐ。英国の若者も続く。危うい狭いバンドを回り込むと懸垂下降用の支点がある。英国の若者が自分たちのザイルを使えといい先に下る。彼らが使っているザイルは8mm×70m、2本だ。35mの懸垂下降2回。下降ルートがはっきりして安堵する。下山した地点は小屋から少し下った教会のあたり。小屋に着いたのは19:30。小屋宿泊の予約をするために先に行った笹田Lが迎えてくれる。今晩の宿泊はOKとのこと。シャワーを浴びてさっぱりして晩飯。ここまで菓子数個とパンの欠片しか食べてなかったが腹も空いてないので3人でパスタを1人前頼むが何を間違えたか大皿に3人分のマカロニパスタが出てくる。
 私は疲れと安心感でぐっすり寝るが、笹田Lと武蔵先輩は下山の困難さで興奮していて眠れなかったとのこと。この辺が初心者の私と経験豊富な先輩との山に対する感じ方の違いか。

ドロミテラバレットヒュッテ ドロミテチマグランデ 9Pをリードする笹田L
ドロミテチマグランデ10P e7L、フォロー武蔵(左はピッコラ) ドロミテチマグランデ14Pからの絶景

7/20(水)ドロミテ:雪(−1℃)、イタリア、ミラノ(34℃)など晴(メールドグラスキャンプ場幕営)
 ラバレッドヒュッテの周りは雪で真白。−1度。昨日の天気が嘘のようでビバークしていたら無事に下山できたかどうか。
 昨晩の夕食に残したマカロニスパゲッティを宿の主人が出してくれる。昨晩、残ったパスタを最初は明朝食べると言ったのだが、衛生のことを考えて処分してくれと言い直したが律儀に出してくれたものだ。
 8:30小屋をスタート。雪の降る中を下の小屋付近に駐車していた車まで戻る。シャモニまではミラノ経由の高速道路を走る。時間が遅くなればアオスタあたりに泊まり、ワイナリーに行くことも話題にのったが順調に走りシャモニ、メールドグラスキャンプ場に着く。7:00。約10時間。総走行距離1,725km。今日は725km。
 キャンプ場近くのコンビニ風の店に食料の買い出しに行く。ワイン(赤1、白1)、ウイスキー(1)、黒ビール(3)、チーズ、サラミソーセージ、たまねぎ、ブドウ。
 夕食はスープ、わかめご飯、五目御飯にワイン赤1本、黒ビール3本、ウイスキー半分をたいらげる。

ドロミテチマグランデ 翌日は雪でした 宿のご主人と記念撮影

7/21(木)雨(メールドグラスキャンプ場幕営)
 16:00、シャモニ観光案内所のベルナデットさんに今後の天気を聞く。天気の回復は見込めないという。山は雪。
 私は、ベルナデットさんに教わった店でワインを買う。会の皆さんにワインを飲みながら写真を見てもらおうとの魂胆だ。日本に送る場合はほとんど割れるので気をつけるよう注意を受ける。ワインショップで赤12本、白6本を注文。輸送のことを考えて木箱に入れたうえ中をプロテクトするよう頼むが、何となくしっくりこない。梱包しておくので明日10時頃来いと言う。
 朝食:ラーメン(サラミ、玉ねぎ)、昼食:ミネステローネ+白米、夕食:炊飯、サーモン、チーズ、野菜とワイン、ウイスキー

7/22(金)曇一時雨(メールドグラスキャンプ場幕営)
 10時、ワイン屋に行く。案の定配送はやらないと言う。笹田Lの巧みな英語も相手は仏語しか話せなくあまり通じない。しかし、相手のワインを売るが運送屋ではないと言っているがはっきりした。仕方がないので、笹田Lの提案で現地ガイド(ガイドでもいろいろあるようだ)だと言う白野さんにTELし教えを被る。白野氏曰く、「輸送は郵便局しか受け付けない」とのことで、白野氏と郵便局で待ち合わせし、要領を聞くことにする。荷物を送る場合は輸送料込みの組み立て段ボール箱を買う、ワイン専用の箱は1本単位、日本向けの箱の色はえんじ色と決まっている、と、言うことが分かったが、シャモニの郵便局ではワイン用の箱は2個しかないので、隣町のボソン郵便局に5箱あると言うのでそこに行く。ワイン用箱6個と一般物輸送箱1個を買い、木箱入りワインをキャンプ場に持ち帰り、再度荷づくり。一般物輸送箱に6本を下着手袋などでプロテクトして詰める。ワイン用6本と一緒にまた郵便局に行って送る。残り6本は手荷物として3人で持つことにした。
 ワイン騒動で2日間を費やした。
 朝食:パン、スープ、野菜 昼食:中華レストラン 夕食:ご飯、スープ、魚缶詰

7/23(土)雨(メールドグラスキャンプ場幕営)
 9:00レンタカーを返す。朝市を覗き山羊のチーズ、野菜、ハムなどを買う。H・Alpinaのマーケットで21?の赤ワインを買う。ワインは段々上物にエスカレートする。
 朝食:パン、スープ、野菜 昼食:レストランでムール貝、オムレツ、スープ、サラダ、パンとドラフトビール  夕食:昼間購入の食材

7/24(日)雨のち晴れ(メールドグラスキャンプ場幕営)(行動時間5時間)
 朝方まで激しい雨。今日も行動不可かとあきらめていたら雨があがったのでモンタンヴェール、メールドグラスまでハイキングに行く。9:20スタート。キャンプ場から樹林帯を抜けると氷河が削り取ったのっぺりとした岩の上を歩き、後退したメールドグラス氷河向こうのドリュを眺めながら登山鉄道終着駅のモンタンヴェールに着く。下山はシャモニに直接下る道を行く。14:20下山。
 朝食:パン、スープ 昼食:レストランでリゾット、ビール 夕食:パン、缶詰、ワイン、ビール、野菜

7/25(月)晴(メールドグラスキャンプ場幕営)
 朝起きるとカメラがないことに気づく。ひょっとしたら昨日のハイキングで雨具の着脱をしたので落とした可能性があり、再度下山道を登ってみることに決める。支度をしてザックに荷を詰めかけていたら笹田Lがザックのベルトにつけていたカメラケースを点検するようにとの声がかかり、見てみるとあった。良かったと思う反面ボケぶりにあきれる。笹田Lと武蔵先輩が言う。カトはどうでもいいがカメラだけは日本に持って帰りたい、などととんでもない冗談。
 はれてゴルフ。8:40スタート。私は18年ぶりでクラブを握る。スコアにはならないがカラ振りなしパー2個だけで良しとする。ドリュなどシャモニ針峰を眺めながらのゴルフは別天地。
 朝食:雑炊 昼食:レストランでオムレツとビール 夕食:ホテルでコース料理

7/26(火)晴後雨(ホテルアルピナ泊Hotel Alpina)(行動時間3時間)
 キャンプ場撤収。バスでHotel Alpinaに移動。荷物をホテルに預けて10:00頃ガイアンの岩場に向かう。ホテルから岩場まで歩いて1時間程度。
 11時頃からRC練習。14:00終了。4,5本登ったか。岩は固く全体にホールドもあり素晴らしい岩場だ。名だたるクライマーが練習した雰囲気を感じる。街はずれの公園の中の岩場で明るい。22日に見物に来た時同様に子供たちが大勢いる。足先をしっかり岩につけて立つ、ビレーはデバイス類の特徴を掴み利き手を離すさずいつでもとめられるようにと基本に忠実だ。中には振り子の練習をしている子もいる。親が何人かついてきている様子だったが、何も言わずに黙って見ているだけ。子供たちはすでに立派なクライマーだ。
 朝食:雑炊? 昼食:地元の人が多いビアホールでギネスを飲む 夕食:日本食レストラン「さつき」でカツ、肉網焼き、てんぷらの各定食、キリンビール、日本酒熱燗

7/27(水)
 荷づくり後ホテルで朝食バイキング。シャモニ駅の裏にある名クライマーの墓をお参りする。墓が多くあきらめかけたが、武蔵さんが入口近くにあるエドワード・ウインパーの墓を見つける。その隣にリオネル・テレー夫妻の墓。笹田Lが奥の端にガストン・レビュファーの墓を見つける。その近くに日本人の慰霊碑がある。
 ホテルに戻りシャモニでの最後の晩餐となる。
 朝食:ホテルバイキング 昼食:生ビール特大、スープ、鱒、サラダ、パン 夕食:ホテルに持ち込んで赤ワイン1本、白ワイン1本(スイス産)、チーズ、惣菜

7/28(木)
 7:40タクシーでジュネーブに向かう。270?か?ジュネーブ11:55−13:35アムステルダム。アムステルダムでまた事件が起きる。出発ゲート近くの椅子に3人のザックを細紐でくくって置き昼飯をして戻ってくるとザックがない。周りの客に聞くと危険物を見られて持ち去ったと言う。インフォメーションセンターに行けと言っている。インフォメーションセンターがどこか分からない。予定のフライトまで1時間しかない。笹田Lと一緒にザックを探す。とんでもく遠い(成田行きゲートが端っこ)インフォメーションセンターを見つける。中を覗くと見慣れたザックがありほっとする。
 17:35のフライトが1時間遅れる。成田11/29、予定から1時間遅れの12:40着。帰りがとてつもなく長く感じる。
 充実した25日間のALPSが無事に済んだことが何よりだと思う。笹田Lと武蔵先輩にただ感謝するのみ。