南アルプス全山縦走記
≪60周年記念山行≫
【日程】2014年7月18~31日
【メンバー】・ミナト(L) ・カト・アトム・ツノダ・トヨダ・きむ・ミチ(記)
※コースタイムや食糧などはカトさんの記録をご参考ください
それは突然起きた。
次から次へと涙が溢れた。
ほんのすう数分前、はしゃぎながら記念写真を撮っていたのに、突然・・。
自分でも予期しない出来事に困惑。だけども理由なんて何でもいい。
とにかく歩きぬいたのだ。南アルプス隊の最終ピーク、鋸岳に。
ミッションと口走りながら、半ば仕事のような義務感を抱いたり、容赦なく照りつける紫外線に怯えたり、ザックが重過ぎて食い込む痛さと戦ったり、思い起こすと限が無いぐらいの泣き言が出てくる。それでも辿り着いたのだ。
7月18日(出発)
《新宿バスターミナル・飯田駅》
雨の降る中、南アルプス隊の出発の時が来た。新宿のバスターミナル。
すでに隊長のミナトさんがいた。骨太のガッチリとした体。それに負けず劣らないザック。30キロ近くはあるだろう。小学生並みの重さだ。この縦走めがけて60キロのザックを背負い会社の階段でトレーニングを重ねていた。南アルプス隊の隊長でもあり、60周年記念山行の総隊長でもある。凄い人なのに、威張ったところなど微塵もなく、礼儀正しく穏やかである。毎度も言い続けているが、何度でも言いたい。ミナトさんがいると安心する。安全の保証が約束されるわけではないが、とにかく安心するのだ。
挨拶を交わしていると、カトさんが到着。出発前なのにすでに真っ黒に日焼けした姿は山人・・山で働いていそうな雰囲気を漂わせる。真っ赤なザックは大縦走のわりには大きくない。食事の準備も備わっている。なのに、コンパクトだ。工夫をこらし軽量化に務める。完璧なカトさん、無駄がない。今回の縦走でも、常に先頭を歩いてくれた。ペース配分も完璧。それに、準備や手配等お世話になりっぱなしだ。
そして最初の三日間、一緒に過ごすアトムさん。笑顔で登場だ。相変わらず背筋がピンとしている。一瞬でも猫背姿を見た覚えが無い。本人いわく遺伝と謙譲してだが、日ごろから鍛えている筋肉の力も大きいと思う。あやかりたい。
少し経つと私たちの後に出発する中央アルプス隊のアベさんの姿もあった。アベさんは南アルプス全山縦走を経験しており、確信に基づいたエールを送ってくれた。
「日が経つにつれだんだん荷が軽くなるから面白いよー」これを実感したのはだいぶ後になってからだった。
さあ、出発。これからどうなる?不安よりも楽しみの方がうんと大きい。お気楽なのか、いや、これでいい。4人を乗せたバスは飯田に向かって出発した。
7月19~21日(前半)
《光岳・易老岳・茶臼岳・上河内岳》
雨が降ったり、止んだり。雨具を身につけると瞬く間に汗がでる。重さ19キロのザックは重い。易老岳までの登り。かなりキツイ。根をあげるには早すぎる。だけどキツイ。何度も大丈夫との問いかけに、大丈夫と頷き、続けるはずが・・とうとう音を上げてしまった。ミナト、アトムさんが私のザックを軽くしてくれた。それもかなりの量。そのお陰でどうにか光小屋まで辿り着くことが出来た。振り返ると、この登りが一番キツカッタ。体が慣れてない、そこにきて大荷物や雨が降ったり止んだりの天気。心が折れかかった。(これじゃ足手まとい。この調子じゃ、一足さきに山を下りた方がよいのか・・・)
天気同様、曇り時々雨の中の山行。樹林帯の中をもくもくと歩く。景色も開けてこない。ただ、ただ汗が流れる。まだ始まったばかりなのに、弱気に支配された出だしであった。
二日目の聖平小屋での朝、アトムさんとお別れだ。寂しくなる。この時点で百名山の光岳を含め4座のピーク。まだ15座も残っている。気が遠くなる。大丈夫なのかと不安を抱える。それを見据えたかアトムさんがエールを送ってくれる。「気をつけてね、がんばって!」(アトムさん、ありがとう・・)
7月21~24日(中間・前)
《聖岳・兎岳・赤石岳・荒川岳》
兎岳非難小屋手前で単独のおじさんに出会った。「トマト食べる?」と挨拶してきた。私とカトさんは迷いも無く好意に甘えトマトを食べた。話しを聞くと金沢の人だった。そして、とにかくしゃべる人。こちらから終わりにしないと、いつまでもしゃべり続ける。なんとなく仲間のS氏にそっくりだった。背丈や雰囲気、歩き方さへ似ている。その後しばらくおじさんの後ろ姿みながら近づいたり、遠ざかったりしながら、徐々に見えなくなって行った・・・。
百間洞山の家に到着。小屋の脇には沢が流れており、テン場も最高だった。時間的にも日が落ちるまで、たっぷり時間は残されている。気分が高上する。3人でまずは乾杯。久々に飲んだ炭酸は格別だった。迷わず沢に入り足を洗った。厳密に言うと4日目ぶりだ。とにかく気持ちが良かった。足だけなのにさっぱりした。水道で顔も洗った。前半戦の疲れが、一気に流されていく。
テントなどの装備や雨具。靴からなにもかも干しまくった。辺り一面はガラクタ市のようになっていたがお構いなしに、干した。体だけじゃなく荷物もさっぱりした。ココでのサッパリが、意気を吹き返してくれた。
≪百間洞山の家≫
翌日、嘘のような絶好調が待っていた。
前半戦に自信を無くし掛けていると「4日目ぐらいから調子よくなるから」のミナトさんの言葉通りになった。肩のヒリヒリも無い。多少の登りもキツイと感じない。思考回路も鮮やかに変わって来た。恥ずかしい話しだが、地形はもちろん、名だたる山の場所や名前まで、はっきりと把握していない。そんな状態で参加したものだから、赤石岳を「赤岳まだですかー」と言う始末。大問題である。ここまでくると笑い事ではすまされない。山歴5年。会のメンバーになって1年が経った。自分でもウンザリしていた矢先の変化だった。天気は良好。見渡す限りの大展望。今まで歩いて来た山々。そして、これから向かう遥かなる山々。余計なざわめき一つ無い静かな山。このような環境におかれてか、果たして熱心に指導してくれたミナトさんのお陰か、覚えるようになった。光岳、茶臼岳、聖岳・・、赤石岳、荒川三山、塩見岳・・・。楽しかった。わけ分からずに、ただひたすら歩いている時よりも、新鮮だった。山の容も様々だ。特徴のあるものから、そうでないもの。人気のある山はやっぱり、なるほど・・と、頷ける何かがあったりする。土の感じも岩の種類も色々ある。南アルプスのど真ん中付近に居る。奥深い山の稜線上に居る。贅沢な課外授業だ。カトさんも花の名前を教えてくれる。一瞬覚えるのだが、直ぐに忘れる。高山植物についてはあと2~3年かかりそうだ。(カトさん待っていて下さい)
7月25~28日(中間・後)
《塩見岳・農鳥岳・間ノ岳・北岳・仙丈ヶ岳》
この日も晴天。目指すは塩見岳。三伏峠小屋を出発してから登り降りを繰りかえしながら塩見小屋の前に。中から、布団を抱えたさわやかなお姉さんが出てきた。挨拶を交わす。話しによると、今年で40年余り続いた小屋も老朽化が進み取り壊すようだ。レトロな雰囲気で何となく名残惜しい。このような稜線に立つ小屋は厳しい天候だったりすると、多くの人を救って来たに違いない。そう思うと自然に頭が下がる思いだ。小屋を後に岩ガレの急斜面を登り終えると、13座目の塩見岳頂上到着。平日だからか、ほとんど人が居ない。ゆったりとした山行予定。たっぷりある時間。気付けば3人して無言で携帯をいじっていた。塩見岳の頂上で。超大自然と超現代がコラボしている。そんな贅沢を経験した。
色んな体験をさせてもらった。その中でも身体についての発見だ。
わかりきっているが、山に入ると風呂には入れない。2週間近く続く風呂なし状態。
どうなるのだろう。もの凄く興味があった。雨に打たれ。汗もたっぷりかいた。帽子はかぶったりかぶらなかったりだが、髪もべったり固まっている。
3日目(百間洞山の家)沢に入り初めて足を洗った。
4日目(荒川小屋)テン場の水場で手足洗う。
5日目(高山裏非難小屋)手前の水場で始めて髪を洗う。ここで、みんなが体を拭きシャツなど洗いまくる。あー気持ちがいい。それにしても冷たい。頭皮にじんわりと突き刺さる。だけど最高だ。
7日目(熊野平小屋)でもほぼ全身浴に近い洗いに専念した。男性人は手足のみで相撲中継に夢中だった。
9日目(両又小屋)炊事場での蛇口で髪を洗う。それも手洗い石鹸で。よくすすがないとならない。快感を満喫するにはちょっとばかり水の冷たさが染みる。この日は午後から雨で気温も下がり気味。だけどもありがたい。この後は下山後、最終日までお預けだ。
まとめると、5日が限度のようだ。季節や状況、個人差にもよるが、5日が限度。そして太もも辺りがかゆかったのに、10日も過ぎると感じなくなる。むしろ皮膚にバリアガードが直積されたのかサラサラに感じる。結構の割合で清潔は保たれる。
新たな進化もあった。起床から出発までの時間だ。どんどん進化し、気付くと3時起床、3時50分出発が当たり前になっていた。更に5分短縮され45分準備完了の時さえあった。朝食、身支度、テント撤収。通常なら1時間半ぐらいなのに、半分の時間で完了。朝食は、コーヒーと昨夜に用意してあるアルファー米と簡単メニュー。そして極めつけは、自衛隊の訓練のような動きである。朝の挨拶を交わしてから出発まで、ほとんどしゃべらず淡々と出発めがけて行動するのであった・・。
北岳ではツノダさん、トヨダさんと合流。たくさんの物資を担ぎ上げて来てくれた。お願いした大福はもちろん、ビールやアルファー米。元気もりもりアミノバイタルまである。ホントありがたい。優雅な晩餐を味わった。体力的にも徐々に疲れが溜まってきているはずなのにテンションンは一気に上がった。仲間っていい。最高だ。大量物資のせいか本人たちはテントを持たずツエルトで夜を過ごした。この夜は風が強く大変だった。時折目が覚めるような強風。仲間って最高だ。などど、言いながら一度もテントから顔を出すことは無かった。仲間のはずなのに、ゴメンナサイ。翌日、強風と霧の中、かき分けるかのように頂上へと向かった。そのような状況でも、一瞬ガスがとれ素晴らしい瞬間を捉えることが出来た。燃えるような真っ赤な朝日。幻想的なブロッケン。本当ツイテいた。みんなで記念撮影。ここで16座目。残すところあとわずかであった。
7月29~31日(後半戦)
《甲斐駒ケ岳・鋸岳》
北岳・仙丈ヶ岳・甲斐駒ケ岳。この辺は、観光地と言っていいほどの賑わいだった。仙丈小屋から一気に1,000m下り、北沢峠で、きむ兄と合流。そして甲斐駒ケ岳頂上まで一気に1,000m登る。標高差はあるものの、整備され歩きやすかった。
それにここまでくると荷物が軽い。更に、きむ兄にもフライや水などを持ってもらう。
アベさんの言葉を思い出す。確かに、面白い・・・。
さて、甲斐駒ケ岳を後にして最終地点鋸岳へと向かう。先ほどまでの賑わいは何処へやら、誰もいない静かな、鋸岳への登山ルート。「集中」と何度も言い聞かせながら進む。遠くから見ていると、ギザギザしており危険な感じがしていた。だけども一瞬たりとも気が休まらない、などど、言うほどでもない。カトさんを先頭に一行は六合目小屋にと到着。レンガ造りの立派な非難小屋。私たち4名だけじゃもったいないぐらい広さだった。
さて、水場へと水汲みに行かなきゃ。だけどもそれらしい、道しるべや、標識もない。新人の私と、きむ兄で捜索に向かった。この捜索に関しては説明すると長くなる。既にこの南アルプス縦走記録も(簡潔に)を心がけていたのに、ずらずらとしている。記録のはずが、感想になっている。おまけに自分目線だ。最終的には、無事に水をくみ上げて来たが、そこに至までのドラマがあった。追々に語ることにする・・・。
確保した水で心配することなく過ごせた。夜は満天の星空を満喫。大自然の偉大さを噛み締める。いいなー、すごいなー、たまらない。終わらない感動、締め付けられる思い。願い事を唱えることすら忘れてしまう、そんな光景だった。
さてさて、翌日、一行は鋸岳へと向かう。分かりにくいルート。何度か辺りを見渡す。時にはロープをはり安全歩行。ガレガレ地帯では石を落とさずと気を張り詰める。これでもか、これでもか、とガレ場は続く。泣かされながら、ついに到着。南アルプス隊、最終ピーク鋸岳。
「やったー!やったー、やったよー!!」弾けるばかりの嬉しさに大騒ぎ。
皆と握手を交わす。「ありがとー!」「ありがとうございます!」
入山してから12日目。ついに達成。あっという間だった。だけど、色々あった。落ち込んだり、へこんだり。痛かったり、苦しかったり。それに負けないぐらい、嬉しかったり、楽しかったり。喜んだり、感動した。そして、何より強くなった。そう思う。
格好よく、「強くなった」はい、じゃんじゃん。で、終わりにしたかったが、鋸岳下り、そして、河原歩きなど、へこたれた。しゃべれないほど、へたれた。やはりまだまだ甘い。甘かった。
色んな山に行こう。更に進化して震えのくるような場面に出くわしたい。山に登れば登るほど欲深くなって行く。終わりがない。山って何なの。とにかく魅力的。こんなに思えるのも、みんなのお陰だ。
カトさん、山行途中に不幸があったにも関わらず下山せず同行。常に先頭を歩き引っ張ってくれた。安心して着いて行くことが出来た。カトさんとはよく一緒になる。(縁が強い)これから先、まだまだ、ご一緒願いたい。
途中で分かれたアトムさん。幾度となく、助けてもらった。荷物だけではなく精神的にもだ。語り合ったあの日の夜は楽しかった。また、続きを願う。今度は少し飲みながら。
ツノダさん、トヨダさん。思い荷を背負い支援してくれた。ありがたい。そう簡単な話ではない。次回は私が二人を応援したい。(待っていて下さい)
きむ兄、北沢峠から合流。あなたはやはり晴れ男。目が覚めるよな、天気を運んできてくれた。一緒に水を探しに行った。捜索隊の大冒険、わくわくした。上から目線の態度に刺激される。私は先輩、しっかりしなくてはと。
そして、ミナトさん。心より感謝いたします。(制御不能、敬語に変換致します)
よくぞ南アルプス全山縦走を実現してくれました。計画書作成から現地での判断、そして最後まで面倒をみてくれて、ありがとうございます。普通の感覚なら嫌になってもおかしくないぐらい、山に対して勉強不足、力不足、まさにアウト的な状態でした。私の犯した細かい明細はしまって置くとして、山を、更に、好きにさせてくれました。あんなに歩いたのに、もう、歩きたくて、歩きたくて仕方がないです。
また、一緒に歩いて下さい。
今度はミナトさんに泣いてもらいます。(なんちゃってー)
記録よりも感想になってしまいましたが、以上です。
支えてくれたみなさん、本当にありがとうございました!