白山

白山 春合宿          軍曹・イシノマキ・ママ(記)

5月2日  20時30分王子集合

5月3日 白峰~市ノ瀬ビジターセンター(9時15分)~別当出合(11時30分)~

砂防新道~甚之助避難小屋(14時30分)

5月4日 起床(4時 小雨) 甚之助避難小屋(6時)~室堂ビジターセンター

(7時40分)~白山山頂(8時)~室堂~甚之助避難小屋(11時)~

市ノ瀬(14時30分)

2日・王子発。深夜に上高地安房トンネルを過ぎ仮眠。

3日・金沢市街を通過後ゴールデンウイークよりゲートの開いた白峰の市ノ瀬ビジターセンターに駐車。登山届けを提出。

1、白山遠望

これより6km・2時間のアスファルトの出ている車道歩き。別当出合からは登山道となりすぐに床板の外した吊橋を慎重に渡る。

7、別当出合吊橋この先はトレースもあり天気が良いので汗だくになりながら3時間で雪に埋もれた甚之助避難小屋に着く。

14、甚之助避難小屋

2014年新築の小屋の二階の窓から出入ができる。我々の他は1組だけ、暖かいので窓は開けっ放しにして入山祝いの乾杯をする。飲みながら別山の眺めを楽しむ。手足を伸ばして気持ちよく19時に就寝する。

16、甚之助避難小屋

4日・目が覚めると霧から小雨模様に変わる。軍曹リーダーとイシノマキ氏の判断で本日登頂に決定。6時出発これより黒ボコ岩まで突き上げ尾根に出る。事前の調べで心配していた急登だ。トラバースしながらゆっくりと歩く。尾根に出れば鳥居のある室堂ビジターセンターは近い。大きな施設のセンターはGWから素泊まりの営業もはじめたらしい登山客も多数見かける。頂上へは風も出てきた。2702m御前峰・白山神社奥宮のお社は金の装飾が美しく雨の中でも立派に輝いている。手をあわせて礼をする。すぐに下山。室堂で暖かいココアをすすり先を急ぐ。急下降で私が腰の引けた歩きなのでリーダーにザイルをだしてもらう。甚之助小屋でデポした荷物を整理して濡れたまま続行して歩く。床板の無い別当出会の吊り橋も帰りは気が楽で登山道の終りとなる。

村里の近くになってイシノマキ氏は車道いっぱいに咲いているフキノトウを採り集めている。手元の袋からはこぼれ落ちそうだ。

春山の雪の白さとふきのとうの黄色が美しい白山でした。

多摩川水系一之瀬川竜喰谷

山行報告(150517­ 多摩川水系一之瀬川竜喰谷)

 

  • 場所:奥秩父多摩川水系一之瀬川竜喰谷
  • 日程:平成27年5月17日(日)前夜泊日帰り
  • メンバー:こば(L)、はぎ、つりし、えび、きむ(記)

【行程】

5月17 日(日)

起床 5:00 ― 車で入渓点に移動 ― 出発してすぐ入渓 6:30 ― 曲がり滝取りつき 8:05 ― 休憩 8:50 ― 大常木林道 11:30 ― 休憩・下山開始 12:00 ― 車道に出る 13:00 ― 入渓点に戻る 13:40

【報告】

一之瀬川の本流と竜喰谷の出合の直下から入渓。車はこの直近に駐車した。

さすがにまだ水は冷たい。一見歩きやすそうなナメだが、久々に履く沢靴(フェルト)が妙~に滑る。沢靴ってこんな感じだったっけ、と?マークが頭の周りに点滅。前の週はフラットソールで岩登りだったから、そのギャップは激しい。

小さい滝が多い。ほどよく現れる、飽きの来ないいい沢だ。滝はできるだけ巻かずに登ってゆく。う~ん、でもメンバーの内3名(つりし、ハギ、キム兄)は今年初めての沢。なんだか体がまだ沢に慣れていない感じがする。

写真1

何個目かの滝の手前をヘツっているとき、一瞬にして体が垂直落下。見事にドボンッ!一気に目が覚めた。事前にハギ隊員から頂いた「久しぶりの沢靴は慎重に」とのお言葉が脳裏によぎる(遅!)。

それにしても開始15分でのドボンは早過ぎた。陽がまだ沢に入っていなくて寒い!秘密兵器が無かったらどうなっていたことか… でもおかげで一気に沢の感覚が蘇った。

写真2

最初の難関、曲がり滝に取りつく。コバ隊長が残置ハーケンとカムを駆使してリード。ロープはフィックスで、後続はフリクションノット(オートブロック)やタイブロックで登ってゆく。タイブロック速いナー、欲しいナー、高いナー。

写真3写真4

8:30、陽が差し込んできて少し暖かくなってきた。低いなだらかな滝でつりし隊員が水線を跨ぎ損ねてスルスルスル… 2人目のドボン! 滑り落ちる際の抵抗が「往生際が悪い」と笑いが起きる。さすがのつりし隊員ですらシーズン始めは感覚が鈍っているようだ。

写真5

その後も滝がほどよく現れる、飽きの来ないいい沢だ。ロープも何度か(計4回くらい)使いつつ滝をクリアしていく。思ったほど水を被る沢ではなかった。(落ちなければネ)

写真6

写真7

開始丁度5時間後の11:30、大常木林道に出る。ヤブこぎが無く、スマートに終わる沢だ。なかなか面白かったが少し短い。途中、2-3か所いいテン場があったし、他の沢と組み合わせたり、当日東京発で泊まりもいいかも知れない。

写真8

大常木林道を右岸側に進むと途中で上りと下りに分かれる。上りから行って無事登山道に出たが、下りはどこに出るのだろうか?(地形図に記載なし)

 

そうそう、今回導入した秘密兵器はコレ↓

写真9

サーファーやバイカーご用達のネオプレン腹巻、冷え性の方にはオススメです!

 

 

剱岳

剱岳早月尾根

メンバー:齋藤(L)、アベ、タカタカ(記)

日時・コースタイム:

5/1 20:30鴻巣集合-翌日2:00馬場島

5/2(快晴) 6:15馬場島-13:00早月小屋

5/3(快晴) 5:00早月小屋-8:40山頂(大休止30分)-12:05早月小屋

5/4(曇り) 5:45早月小屋-8:30馬場島

5/1

サイトウさんの車で鴻巣駅を出発。馬場島までは長い道のり。GW渋滞にはまらなかったものの5時間以上かかって到着し、駐車場で車中泊。馬場島は小窓尾根や赤谷尾根の登り口でもあるので、翌日駐車場は満車。

5/2

早月尾根はほぼ登り一辺倒、急斜面が続く。天気は大快晴で気温は高く、まるで夏の日差しのよう。汗が噴出し、ジリジリと日焼けしていく。3人でゼイゼイ言いながら小屋に向かう。雪の状態はグズグズで、小屋まではノーアイゼンで登る。この尾根の北方向には小窓尾根や剱尾根の稜線を間近に見ることが出来る。針の如く鋭い岩塊が連なり、人を寄せ付けぬ凄みがある。サイトウさんはそれらのルートを含め、多くの難関ルートを経験しているらしく、改めてスゴイなあと感じる。そのサイトウさんが途中でお楽しみおやつ、フルーチェを出してくれた。子供の大好物を大人3人で嬉々と食べる。疲れが癒される。

グラフィックス1

ようやく小屋に到着。大量に流した汗を早速ビールで補う。おつまみは阿部さん手作りの松前漬が絶品。夕食はタカタカ特製の鶏団子鍋。この時期の早月小屋はGWのみ特別にオープンする。テント場には6張程度で、登山者は多くない。テント場は広く、眺めも良い。富山湾・能登半島を一望できる。

5/3

山頂まで急登が続き、2600m辺りから岩稜帯となる。今年のGWは雪量がとても少ないため、岩の露出している箇所が多い。今回の核心部はカニのハサミに突き上げる部分。雪がついた夏道とは別のルートを進んだため、ザレた急斜面がいやらしい。落石を発生させぬよう慎重に登る。下りは懸垂で、ロープを出したのはこの箇所のみ。

グラフィックス2

カニのハサミを越え、別山尾根と合流すると山頂はもうすぐ。山頂からの景色は抜群。快晴のもと北アルプス山脈を一望する。登山客が少なく、しばし3人で山頂を独占。

下山後のテントで、阿部さんが特別メニューを用意してくれた。なんと山でもんじゃ!しかも1人1つもんじゃヘラまであります(笑) 夕食はタカタカのトマト鍋。

5/4

帰りは急斜面の雪面を一気に下るため、時間を短縮できる。タカタカは歩き方が下手なため、グズグズの雪に足を取られ尻餅でびしょびしょ。歩き出し5分でお漏らし状態となる(泣) 阿部さんは軽快に歩いていく。あっという間に駐車場に到着。登山口付近に生息しているフキノトウのお土産付き。帰りは日帰り温泉「アルプスの湯」、魚津の道の駅で海鮮丼(白エビ+蛍イカ刺身付き!)を楽しみ帰京する。

憧れの残雪期の剱岳を経験できて感無量です。大先輩のお2人には安全のサポートをしていただき、誠に感謝しております。サイトウさんが往路は5時間、復路は10時間以上運転をして下さり、ありがとうございました。お疲れ様でした。

以上

北アルプス 霞沢岳 記録

  • 場所:霞沢岳
  • 日程:平成27年3月27日~3月29日
  • メンバー:タカタカ(L)・サイトー・かおり(記)
  • 記録

3月26日 晴れ ☀ (さいたま新都心駅~新島々駅駐車場)

前夜東京出発。木曜日の23時にさいたま新都心駅集合とあって、電車や駅は飲んで帰るサラリーマンの群れである。そんな中、雪山装備でモッサモッサと歩いて電車に乗る。早速さいたま新都心駅で酔っ払いに絡まれる・・・ピッケルさえ構えていれば楽勝なのだが、あいにくザックに固定されているので、駅員さんの所へ逃げ込む。恐るべし。
23:00 タカちゃんLに助手席を任せ、後部席で爆睡モードに入った私を乗せ、サイトー氏の愛車がさいたま新都心駅を出発。暗転。気が付いたら、新島々駅の駐車場だった。
3月27日 晴れ ☀ (新島々駅~釜トンネル~入山~幕営地点)

7:00 タクシーにて釜トンネル入り口へ。
のハズだったが、予約していたタクシーが来ない。タカちゃんLが手配していたタクシー会社に連絡を入れるがなしのつぶて・・・駅で地元タクシーの番号を確認し再手配。落ち込んでいる彼女がかわいそうと同情していたが、すぐに来たタクシーに乗り込んで後部席で私と爆睡していた所を見ると、無駄な心配をしたようだ。

8:25 釜トンを歩きはじめる。8:50釜トン出口。
アスファルトの見える道路を快調にあるき、土木事務所入り口の看板をLが発見。大正池手前の道路が大きくカーブした所にある。思ったより近い。土木事務所まで行かずに、手前の斜面を尾根目指して登る。サイトー氏に先頭を任せ、ツボ足で歩きはじめる。樹木が多く結構急な斜面を直登。左手に穂高・後方に焼岳・下方に大正池を望み、贅沢の極み。
途中、傾斜がキツく私が真っ先に音をあげアイゼンを装着。
大木をくぐり、ラッセルをし、急登にあえぎながら、テン場を探す。ちなみに、その苦労の大半をサイトー氏が担う。もちろん私達も先頭を交代した・・・・・・・・・・・が。
途中休憩を取りながら、テン場になりそうな平地を探すがあまり見つからない。タカリーダーの事前調査で目星をつけていた高度を過ぎてもまだ無い。

①大木くぐり「大木くぐり」

14:30 2100メートル地点で眺め・地形・風よけすべてをクリアする場所を発見!
春分の日を過ぎ日も長くなったおかげで、山行・宴会ともにリーダーの指示のもと長い宴会となる。西斜面のテン場は穂高・焼岳が赤く染まり、6時頃まで明るいし。

②テン場にて。後ろの白い山が焼岳「テン場にて。後ろの白い山が焼岳」

3月28日 曇り→晴れ (テン場~頂上~テン場)

4:30 起床 食事をし、ハーネスを着け出発準備。緊張しているタカリーダーと私は、昨夜の宴席が別人のように口数が少ない。

6:10 出発 テン場をすぎると急斜面が続く。踏み跡の無い雪の斜面を登る。岩場出現。サイトー氏を先頭にザイルを出す。セルフビレーを取っている最中に、、私がザックにサイドポケットに入れていた水筒を落とす。中にしまい忘れていた!ザイルで確保してもらい水筒を救出に向かうが時間ロスを反省。これでは豆狸と言われてもしょうがない。お豆だ。

③豆狸。水筒を救出して引きつり笑い「豆狸。水筒を救出して引きつり笑い」
④リーダーとナイフリッジ。この姿も慣れれば平気「リーダーとナイフリッジ。この姿も慣れれば平気」
⑤頂上直下。焼岳を望む「頂上直下。焼岳を望む」

岩場を登り、つぎにナイフリッジが出てくる。焼岳の頂上を同一目線で眺められる。難所を過ぎると、あとは頂上への緩やかな登りだ。お豆のくせに先頭を歩かせてもらう。まさに『僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る』だ。

⑥頂上へ「頂上へ」

9:50 登頂 360度の絶景。筆舌に尽くし難し。
タカリーダーも感激したのか、いつもはフルフェイスのマスクで日が沈むまで絶対に脱がない目出帽を脱いでの記念撮影。

⑦頂上と穂高とタカリーダー「頂上と穂高とタカリーダー」
⑧無事に登頂したサイトー氏の苦労がにじむ背中と焼岳「無事に登頂したサイトー氏の苦労がにじむ背中と焼岳」

太陽は少し隠れて、風が出ていた。風を避けて大休止。雪の風紋が美しい。ツバメが一羽大空を旋回している。私の隣ではタカリーダーが行動食のシリアルを雪の上にボロボロ落としながら食べている。
往路を戻る。途中越えてきた難所に注意しながら、テン場までもどる。
越えてきた岩場を懸垂下降で下る。残置するシュリンゲを設定するが、既製品しか持ち合わせていない私たちは、ここでもサイトー氏に現場指導を受ける。結ぶ方式であれば、結び目をほどいて、つなぎ合わせ長くも短くも出来る。教えが大変ありがたい。
ここで、初めて他のパーティに出会う。懸垂が終わるまで暫し待ってもらう間に、サイトー氏が話かける。どうやらカップルだったらしく、サイトー氏が少しソワソワしている。
最後にタカリーダーが懸垂下降で華麗に着地すると、カップルの女性が『地図とコンパスを落とした?』と。
親切にタカリーダーが落とした地図を拾って届けてくれたのだ。しかし驚くべきは1700m弱で落ちていたとの事。登り始めてすぐに落とした事になる。早っ。私も人の事は決して言えないが、リーダーもお豆予備軍か・・・?

12:10 テン場到着。このまま下山するかどうか協議するが、天気・設営地点・見晴・メンバーどれをとっても下山するのがもったいなく、もう1泊を霞沢岳の中腹で過ごす。本日も穂高・焼岳を照らす夕日が美しい。
3月29日 晴れ (テン場~釜トン~新島々~帰京)

4:30 起床 食事。昨日でピークを踏み、下山のみなのでタカリーダーと私は本来通りカシマシイ。
6:00 出発。休憩も長くとり、景色を惜しみつつ下ったつもりだったが、あっと言う間に着いてしまった。
7:35 下山終了。土木事務所入り口で装備を外す。携帯が通じるので、タクシーに電話する。
8:15 釜トンを抜け、人里に。

今回も、サイトー氏・タカリーダーには大変お世話になりました。最後まで抱腹絶倒な3日間でした。力量不足を怒らずに助けてくれたサイトー氏。段取りから宴会部長まですべてを頑張って手配して楽しませてくれたタカちゃん、深く感謝しております。

⑨最後に土木事務所入口看板前にてサイトー氏を嘲笑うお豆コンビ「最後に土木事務所入口看板前にてサイトー氏を嘲笑うお豆コン

那須・朝日岳山行記録

那須・朝日岳

時期:2015年2月21日(土)

参加者:OB1期T氏(L)、カト(記)

記録:

大丸温泉P8:40…10:30峰の茶屋跡11:00…12:20朝日岳…13:40峰の茶屋跡…14:40大丸温泉P

奥多摩の蕎麦ではつとに有名らしくまだ行ったことのない御嶽駅のそば屋「玉川屋」でそばを食べる目的で、奥多摩駅から大岳山・御岳山山行の計画書をすでに提出していた。前日昼頃OB1期の稜友会T氏からTELがあり、明日21日の那須岳は現地の風もなく絶対良い天気になるので行かないか、とのお誘いがあった。この時期那須岳に行ってみたいと思っていてバス便を調べたところ以前あった黒磯駅8:10発がなく断念していた。いつも那須岳には風雪に悩まされていたので、狙った山が絶対天気でないと出かけないと言う知る人ぞ知るお天気博士のT氏のお誘いは渡りに船。

鳩ヶ谷駅5:30合流。東北自動車道那須ICから那須温泉を通り大丸温泉駐車場8:00過ぎ着。下の駐車場は満杯で上に駐車。聞くとスキー客の車らしい。登山者も多い。8:40出発。朝日岳へは行ったことがないと言う私のために朝日岳を先に行くことにする。天気は良く風もない、こんな那須岳は初めてだ。避難小屋まで上着を脱いでシャツだけになる。T氏は先の八ヶ岳北横岳より足の調子はよさそうだ。それにしても80歳になろうとする人が雪山をやるとは普通では考えられない。朝日岳へは夏道だと牛首から剣が峰の東斜面をトラバースしてコルに出るのだが、雪の急斜面は危ういので稜線通しで剣が峰に登った後急斜面を転げ落ちるごとくコルに下る。牛首から稜線の雪は温かいせいで腐っている。地肌が出ている所も多く歩きづらい。朝日の肩手前、西面の鎖場の一部は雪に埋まっている。急斜面の雪面トラバースはピッケルを雪面深く差し込み慎重に行く。朝日の肩に出ると三本槍のなだらかな稜線が美しい。その稜線を縦走している人が小さく動いている。ここでT氏から三本槍岳の地名の由来を教わる。昔この山頂の領地がはっきりしないため、周辺3藩(会津、那須、黒羽)が領地談合するため定期的に集まって槍を立てた故事による、とか。三本の槍が立っているような急峻な地形を想像していたが、見渡すとなだらかな丘陵地帯と言っていいほどの広い山域になっている。

朝日岳頂上へは肩から5分ほどだがミニエベレストを髣髴するようにそびえている。頂上直下の踏み跡が不明で先に行くT氏はそのまま進んだが、私は先の斜面が急らしく見えたので戻る。岩の左上に緩斜面になっているしっかりした踏み跡がある。T氏に呼び掛けるが戻らない。頂上に行くと裏から出てくる。そっちが正解らしいね、などと言って涼しい顔をしている。この辺の見極めが1期たる所以か。

那須・朝日岳山頂
那須・朝日岳山頂

男体山、燧ケ岳などガイドよろしくT氏からいろいろ教わる。下山は登ってきた道をたどる。T氏は休み休み行くが歩き出すと早いのは何時ものこと。14時前に峠の茶屋跡非難小屋に着く。この時間なので茶臼は当然パス。大丸温泉Pに向かって下山する。避難小屋からのトラバース道の途中でアイゼンを脱ぐ。岩、石で歩きにくい。15時前に下山する。鹿の湯温泉に寄るが残念ながら休業。少し下りて「H立花屋はなや」の「小鹿の湯」に入る。知っていて寄ったのではなく駐車場が空いていて何となく良さそうなので入っただけ。入ってみるとこれが鹿の湯のミニ版で、地方の部落の共同風呂のような造りでまことにひなびた温泉浴場に入った気分。木造りの湯船は二つあり高い方は46度だと地元の方に教わる。5分も入っていられない。全身しびれてしばらくは汗が引かない。T氏には車内で20分ほど仮眠をとってもらう。私は近くの酒屋に入り酒粕1Kg540円を買い時間つぶしをさせてもらう。

東北自動車道は案外渋滞もなく順調に鳩ヶ谷駅に着く。毎度ながら往復の運転をさせてしまったT氏には申し訳ないと思う。

ところで、80歳にもなるT氏が何で雪山に行くのか率直に聞いた。曰く、「昔から雪山が好きで途中のブランクはあるがその時々のパートナーがいてこれまで続けて来た」、「最近は3期I氏と一緒する機会があるがI氏も体調次第でいつもと言うわけではない」、「これからはお前も雪山メンバーだ」と言う。1期の大先輩から仲間だと言われることが嬉しい。更に聞けば、日常的に移動するときも電車に乗らず歩くと言う。要はやる気があるかないかと言う気力の問題だとも言う。最近はあまり聞かないが、よく結婚式の祝辞で披露されたサミエル・ウルマン「青春の詩」冒頭の一節を思い出す。「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。」を実践する生き方ではないか。帰りの車中で、家族との関係、老後の態度など貴重な示唆を頂いた。山の先輩、人生の先輩は有難い。私には、創造力も、強固な意志も、情熱も、猛勇心も、冒険心も、何にもねえ!!。先輩の爪の垢でも煎じて飲んで性悪・煩悩の塊のごとき私の良薬としたい。

以上

蛭が岳山行記録

山行報告(150110-11 蛭ケ岳南稜)

蛭が岳山行記録 2015年01月10日

【行程】

1月10 日(土)

小田急新松田駅 7:30集合 ― タクシー ― 寄大橋 8:00 ― コシバ沢 9:30 ― 稜線 10:40 ― 下りはじめ 11:00 ― 休憩 11:20 ― 熊木沢出合 12:30 ― 行動終了 14:00 ― ビバーク地設営14:20

1月11 日(日)

起床 5:00 ― 出発 7:50 ― 蛭ヶ岳山頂 10:30 ― 下山開始 11:00 ― 姫次 12:40 ― 東野バス停 15:10

【メンバー】

コバ(L)、つりし、ハギ、エビ、キム兄(記)

【報告】

1/10土曜日

小田急新松田駅に集まり、5名のため2台のタクシーで移動。料金は1台4300円程度。何だか寒い。丹沢を少々見くびっていたようだ。

コシバ沢までは雨山峠に向かって歩く。最初は林道、そのうち寄(やどりき)沢沿いを歩く。地形図では右岸がメインだが出水が多いのか実際は左岸沿いが多い。細かい枝沢が多く惑わされるがコシバ沢には結局道標が設置されていた。

コシバ沢は涸れた沢のようで、沢の詰め上げをしているかのようだった。標識には「危険」とあったが確かにガレて不安定な石場を進まなくてはならないし、陽の当たり始めた右岸の東斜面からはしばしば落石が発生していて確かに一般向きではなかった。

蛭が岳1
蛭が岳1

稜線に出る可能性を探るため、まずつりしさんが右斜面に上がる。その後、コバ隊長が左斜面を偵察、ハギさんが続く。残るエビさんとキムは最後まで詰め上げて一般登山道に出た。詰め上げ組が早かったが、旧登山道は左斜面にあり、こちらが正解のようだった。

少し登って北面を下る分岐、そこからはまた今は使われていないルートを行く。所々不明瞭ではあるが、踏み跡と思しき箇所もある。

 

蛭が岳2
蛭が岳2

読図しながら進むが、簡易な案内やテープなどに惑わされる。結局予定と異なるルートを辿ってしまった。

少々遠回りはしたが予定通り熊木沢へ。ここまで来ると正面に目標の蛭ヶ岳がどどぉーんと見える。1日目はできるだけこの山に迫っておきたい。

 

蛭が岳3
蛭が岳3

蛭ヶ岳南稜の取りつき近くまで行き、ビバークすることにした。露を凌ぐためタープを張るが風が強くて難儀する。結局沢から少し林に入った風の弱い場所で何とか落ち着いた。この日は星がキレイであったがその分放射冷却が厳しく、厳冬期用のシュラフを用いても外寝は寒かった。

明朝、予定通り5時に起きるも慣れないビバークで手際が悪く、朝食を済ませるまでにずいぶん時間がかかってしまった。行動開始までに1時間以上オーバーして出発。南稜は予定通り登るが、下山の臼ヶ岳南尾根は行程が長いので見直さなければならないかも知れない。

南稜は取りつきに○印があった。その後はやはり不明瞭な個所が多いが、基本は尾根であるので、ぐいぐいと登ってゆく。朝は寒かったが急登に加え日当たりのよい南斜面ですぐに温まる。高度が上がるにつれて景色がどんどん変わってゆく。振り返ると昨日越えた鍋割峠やその向こうに相模湾、箱根や伊豆の山々も。

 

蛭が岳4
蛭が岳4
蛭が岳5
蛭が岳5

最後まで急登は続いた。頂上直下は事前情報通り崩落していて注意を要する。やっと雪を見かける。しかし野バラの棘が散在していて痛い!隊員の悲鳴(や罵声)が響く…

 

蛭が岳6
蛭が岳6

そんなこんなで頂上に辿り着く。我々の進路は一般路ではないので柵を乗り越えての蛭ヶ岳登頂。頂上には数パーティーがいた。今回の山行、初めて会う他パーティーである。

理想的には9:00着であったが出発の遅れで10:30着、エスケープを余儀なくされる。塔ノ岳経由大倉尾根も検討したが、バリッバリに凍っているわけでもない、との情報の北面から下山することに決定。コースタイムは一番短い。

 

蛭が岳7
蛭が岳7

軽アイゼンを持っていないメンバーもいたので、ゆっくり慎重に下山。積雪は姫次(ひめつぎ)までだと思っていたが、さすがは北斜面、結構下まで雪は残っていた。

東野バス停に下山すると、1日2本しかないバスが1時間後に来るという。丁度、とばかりに目の前の旅館の食堂でビールを飲みながらバスを待った。

蛭が岳8

以上

八ヶ岳冬合宿山行記録

冬合宿 八ヶ岳(東天狗岳~赤岳) 記録

・参加者 つりし(L)、ササダ、フカサワ、カト、キム兄、ミドリ(記)

・期日  2014 年12月31日~2015年1月2日 (2泊3日)

・行程

12/31【1日目】

新宿駅(7:30)~茅野駅 (9:51)  バス茅野駅(10:25)~渋の湯(11:20)

渋の湯(11:30)→黒百合ヒュッテ(13:50)幕営

1/1  【2日目】

黒百合ヒュッテ(5:30)→東天狗岳(7:09)→根石岳(8:08)→箕冠山(8:25)→夏沢峠(9:08)→硫黄岳(10:40)→赤岳鉱泉(12:07)→行者小屋(13:00)幕営

1/2  【3日目】

行者小屋(6:30)[地蔵尾根]→地蔵の頭(7:50)→展望荘(8:20)→赤岳(8:55)

[文三郎尾根]→行者小屋(10:00) 行者小屋(11:00)→美濃戸口(13:00)

バス(13:20)~茅野駅~帰京

・記録

12/31 曇りのち晴れ

新宿駅からあずさ3号に乗り、集合場所の茅野駅で復帰後初めての雪山山行となるフカサワさんと、塩見岳から帰って来たばかりのカトさんと合流。カトさん、3泊4日のラッセル山行を終えてかなりゲッソリとしているかと思いきや、いたって元気。

今回の冬合宿、元々はかおりさんが企画したものだったが、足の傷が癒えずにドクターストップで不参加に。(まさかかおりさんが行けなくなるなんて..なんて事だ!)

かおりさんの意思を引き継ぎ、新隊長つりしさんのもと6人で茅野駅からバスに乗り込み渋の湯で下車。

11時半、アイゼン無しで今日の幕営地を目指して私を先頭に歩き出す。

ゆっくりゆっくりと歩いているつもりだが、つりし隊長からもっとゆっくり!の掛け声が3回ほどかかる。(おかしいな?こんなにゆっくりと歩いているのに、なんでだ?)

1時間程歩いて分岐で休憩。丁度1年前の同じ日にも訪れているのだが雪が比べものにならないくらい多い。歩き出してから2時間20分で黒百合ヒュッテに到着。時間はまだ午後2時。

ジャンボテントを設営して、ここから9時の就寝時間まで楽しい宴会に突入。

ワインを皮切りに男性陣から出てくる出てくる日本酒が、ウイスキーが、つまみが、皆さん一体何キロ担いで来たの?と驚く量だ。

先刻、私が先頭で歩いていて、もっとゆっくりコールが掛かかった理由がやっと分かった。これだけ担いで来たら早く歩けませんよね。皆様。

今日は私の誕生日。かおりさんからの申し送りで、つりし隊長がロールケーキを持ってきてくれてお祝いをしてくれるという嬉しい出来事があった。

つりし隊長、かおりさん、ありがとうございました。

外の気温は-15度。テントの中はアウトドアと文学についての話題と英語の発音講座で盛り上がり寒さ知らず。

宴会の締めはつりし隊長の黒毛和牛のすき焼き。山の上でなんて贅沢。

大晦日にもかかわらず明日のために21時に就寝。夜中に外で明けましておめでとうの声と遠くの方で打ち上げ花火の音が聞こえた。

1月1日 曇り時々小雪

3時起床。キム兄のゆずの風味が絶妙な具沢山うどんを頂きテントを撤収し時間通り5時半に出発。

ダイヤモンドダストがキラキラ光る中、ヘッドランプの明かりを頼りに東天狗岳に向けて歩き出す。樹林帯を抜けて岩稜帯に出た所で私のアイゼンの紐が緩み、キム兄のアイゼンが外れてしまった。付け直す間、強風の吹く中で皆を待たせてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

先行者が一組先に歩いているのだが、踏み後が所々無くなり道が分かりづらい。

岩の間を右往左往して東天狗岳に登頂。今回で3回目の東天狗なのだがこんなに苦労して登頂するなんて思わなかった。

風が強よく展望も利かないので東天狗岳は休憩なしで通過。

東天狗から根石岳に向けての下りは先行者なしで踏み後もなし。爽快に下って行くのだが道が広く分かりづらい。

つりし隊長、カトさんの誘導により根石岳を通過後程なく箕冠山に到着したが、根石岳から箕冠山までの道もかなり分かりづらかった。

箕冠山は樹林帯にあるので今までの風が嘘のようにピタッと止んだ。ここで本日一回目の休憩を取る。

小休止後、夏沢峠に向けて出発。ここも途中までは踏み後なし。樹林帯の中の気持ちの良い道を下って行くと程なく夏沢峠、やまびこ荘に到着。

さあここからが私の今回の一番の心配の種、硫黄岳の登りである。

地形図を見ると等高線の間隔が非常に狭い。標高差300メートル 時間にして一時間位か。息が続くか心配である。

それと硫黄岳の山頂は広いので視界が悪いと道迷いが起こる可能性がある。

つりし隊長が用心深くコンパスの向きを合わせる。

深呼吸をして自分に気合を入れる。そしていよいよ硫黄岳に向けて出発。

踏み後はしっかりと付いていて分かりやすい。風も思っていたほど強くはない。曇り空で小雪が舞っているが視界は良好。

結局1時間半かけて道に迷わずに山頂に着くのだが、思っていた通りきつかった。

歩き出して後半、山頂がすぐそこにあるのになかなか辿り着かない。自分を励まして歩く、でもまだ着かない、また励ます、の繰り返し。山頂に着いた時には本当に嬉しかった。

硫黄岳の山頂は沢山の人がいた。

硫黄岳山頂
硫黄岳山頂

小雪が舞い展望もないので記念撮影をして早々に赤岳鉱泉に向けて下山を開始。

夏沢峠で合わせたコンパスの方向に向かって歩き出したのだが、コンパスがさす方向と道標の位置が少しだけ違っていた。

あれ、こっちなんだ、という感じだった。

皆が言っていた通り視界が悪かったら下降点が分からずに本当に道迷いに遭いそうな山頂である。

続々と登って来る人をかわしながら途中1回休憩をして赤岳鉱泉に到着。

ここから本日最後の登り。息を切らしながら50分後、今日の幕営地 行者小屋に到着。時間はまだ13時。テントを設営後 小屋でおでんをつまみにビールで乾杯。その後テントに戻り楽しい宴会の始まり。本日もお酒とつまみに不自由なし。

びっくりしたのはいつもなら絶対につまみなどを持って来ない(カトさん談)ササダさんがブルーチーズとフランスパン、はたまたつまみも沢山持ってきていた事だ。

ササダさん曰く登攀道具がなかったのでその分の重量をつまみに回せたとの事だった。

男性陣は皆、独特の匂いのブルーチーズが大好き。

本日の夕食は私が担当の鍋餃子。我ながら美味しく出来き、ホッと一安心。

山では早寝早起きが基本。今夜はキム兄、フカサワ、つりしでの山の名前のシリトリ合戦を聞きながら19時に就寝。

1月2日曇りのち晴れ

4:30 カトさんの寒い!の一声が目覚まし代わりとなって皆が起き出す。

ササダさん作の大きなお餅と貝柱入りフカヒレ雑炊をお腹一杯頂き、身支度を整え6時半に地蔵尾根経由で赤岳に向けて出発。

踏み後が付いている歩きやすい道をゆっくりと進み、1回休憩の後、樹林帯を抜けて最初の難関、鉄梯子の下にさしかかる。

この辺りは急斜面で所々雪も深い。アイゼンをキックステップで斜面に真直ぐに蹴り込む。左手でピッケルのピックを雪面にさし込み右手も使って登って行く。慎重に鉄梯子、鎖場、ナイフエッジを通過。間もなく地蔵の頭に到着。

ここまで1時間20分程。岩の陰で小休止を取り強風の中、程なく展望荘に到着。

小屋のテレビで箱根駅伝が映し出されていた。あぁ、お正月なんだな、としみじみ思ったりする。

コーヒータイムの後、再び強風の中に身をさらす。追い風で歩き安い。耐風姿勢を取る程ではないのでこれは強風とは言わないのかな、とか思いながら歩き頂上山荘を通過後、8時55分赤岳の山頂に到着。

赤岳山頂
赤岳山頂

山頂は視界良好、遠くに富士山も見える。新年2日目にして初日の出を拝む。

岩陰で小休止後、文三郎尾根で下山開始。下り始めの岩稜帯が急なので慎重に降りて行く。

鎖場も慎重に通過してふっとカトさんの顔を見たらまつ毛が凍ってツララ状になっていた。

樹林帯で休憩を取り10時に行者小屋に到着。

天気が良く日が差す中でテントを撤収し11時に南沢コースで美濃戸口に向けて出発。

ササダさんとキム兄がアイゼンを付けずに歩き出す。

ササダさんはまるで雪なんか無い土の上を歩いているような自然な歩き方で、

キム兄さんはクロスカントリー経験者だけあってスイスイと気持ちよさそうに滑りながら歩いて行く。

途中で休憩を1回取り13時に美濃戸口に到着。

茅野駅で終わってみれば楽しかった2泊3日の山行の打ち上げをし、

あずさに乗車→甲府でかいじに乗り換えて車内でも2回目の打ち上げで盛り上がり帰路につく。

以上

北横岳山行記録

北横岳、三ツ岳(八ヶ岳連峰)

期 日:平成27年1月25日(日)快晴

参加者:OBT氏(L、1期、稜友会、79歳)、OBI氏(3期、稜友会、81歳)、カト(記)

記 録:北八ヶ岳ロープウエイ9:40~北横岳10:50/11:10~北横岳ヒュッテ11:20/11:40~三ツ岳12:00~天池山12:50~天池峠13:10~北八ヶ岳ロープウエイ13:30

1/25(日)北稜の日帰り山行がないので雪山ハイクをしたくて足の便が良い諏訪、富士見の入笠山を予定していたが、OBのT氏から予てから八ヶ岳の北横に行こうと言っていた話が舞い込んできた。二つ返事でOK。

5時に赤羽新大橋たもとの小山酒造前で拾ってもらう。星が天空に輝き風がなく良い天気だ。T氏夫人も参加と聞いていたが風邪で不参加とのことで残念。王子でOBのI氏が乗車して板橋本町で首都高速に乗り中央自動車道から諏訪ICを目指して一走りと思いきや、山手トンネル中央自動車道分岐に入らずに東名方面に突っ走ってしまう。右車線を走っていたので当然分岐を右の中央自動車道方面に入ると思っていたが高速スピードでは右と言う暇もない。登山より身の危険を感じた瞬間であった。渋谷で首都高速を降りてやり直して無事に中央自動車道に入る。

八ヶ岳ロープウエイはスキーヤーに交じって登山者が多い。ロープウエイ山頂駅からハイカーが続々と出ていく。半分くらいがスノーシューを履いている。坪庭は広い雪原になっていて風に晒された波打つ雪紋が美しい。I氏はスタートからアイゼンを履く。T氏と私はツボ足。樹林帯の登りにかかると暑い。途中で雨具の上着を脱ぎ帽子を手拭いに変え二枚の長そでシャツの腕をまくる。T氏はここでアイゼンをつける。私は北横岳ヒュッテでアイゼンをつける。どうせ装着するなら早い方が良いのにと反省する。三ツ岳分岐を見るとトレースがついている。ワカンを持参していたのでラッセルもよいかとも思ったが楽な方がもっと良い。

北横岳

北横岳北峰は人で賑わっている。快晴で360°の展望。快晴の八ヶ岳でこんなに展望が良いのは初めて。T氏に山を教えてもらう。まるでガイド山行のごとし。蓼科山の奥には北アルプス、左を見れば中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳連峰、右を遠くに妙高など、近くに浅間山、見事に3,000m級の日本の屋根が一望される。来てよかったとつくづく思う。

ここまでT氏、I氏の歩行スピード、特に上りはとてつもなく速い。私はついていくのが精一杯でヒーヒー言いながらやっとで後を追う。今年80歳と82歳になるという先輩の往年のスタイルがしのばれる。

北横岳ヒュッテから先に行ったI氏の姿が頂上で見えない。手前のピークに戻り声を出して呼ぶとヌッと現れる。三人で写真を撮り満足して下山に入る。頂上直下の急斜面でスノーシューの面々が下りられず上りも下りも大渋滞。これも天気の良い人気ルートの代償と忍耐と寛容の大人の態度を決め込む。

三ツ岳へはI氏はパスしてT氏と私で向かう。T氏には足の具合が悪いにもかかわらず三ツ岳未経験の私のために無理をしてくれたようだ。トレースはあるもののⅢ峰までは2パーテイーしか出会わない。私たちのコースからはⅢ、Ⅱ、Ⅰ峰と辿るが岩稜帯を踏みながらの静かな雪山は気持ちが良い。トレースがなければルーファイに苦労するのだろう。Ⅰ峰を超えたところからは急降下。天池山までがだらだらと長い上りでT氏は足と相談しながら休み休み上る。しかし歩き出すと早いので一体どんな肉体構造なのかあきれる。雨池峠雪原までがまた急降下。T氏は二つの急降下を尻セードで巧みに下る。

ロープウエイ駅13:30着。14:00くらいかなと思っていたので案外早く着いた。I氏が出迎えてくれる。12:15に下山したようだ。1時間以上も待たせてしまった。

ビーナスライン途中、プール平の蓼科温泉共同浴場に入る。入浴料金500円と安いがお湯が熱い。42度と言っていたがそれ以上の熱さで茹蛸のようになって上がる。帰路、T氏が中央自動車道からの富士山が素晴らしいという。南の空は霞がかかって条件は良くないが長坂から双葉までに真正面に見える富士山は大きく迫ってくる迫力のある姿であった。これまであまり意識してこなかったが改めて富士山の雄大さを知ることになった。圏央道から関越に入り三好SAで晩飯を食い、環八通りに入って自宅前まで送ってもらう。

T氏は天気の良い時を狙って山行すると言っていたが真にその通り。今回の北横はこれまでの雪山八ヶ岳で最高の天気に恵まれた。最近の医療TVドラマでヒロインの女医が言う「私失敗しないもん」との格好いい決め台詞に似て、T氏のお天気山行は真に「俺天気、失敗しないもん」と言いたげだ。

T氏、I氏とは雪山は初めてだが、これまで積み重ねた経験が随所に垣間見られた。これからも時々ご一緒していろいろご教示を仰ぎたいと思った。

以上

塩見岳山行記録

塩見岳山行記録

〇期日:2014年12月27日~30日

〇メンバ:ハギ(CL、記)、ケンタ(SL)、アベ、カト、つかみ、あず

〇行程

<27日>塩川コース林道車止め(12:05)~塩川小屋(12:50)~尾根取付~豊口山分岐(18:03)~三伏小屋(19:00)

<28日>三伏小屋(5:40)~本谷山(8:12)~塩見小屋(12:02/12:10)~天狗岩基部(12:37)~塩見小屋(13:04/13:20)~三伏小屋(17:20)

<29日>停滞

<30日>三伏小屋(6:30)~塩川小屋(9:36)~林道手前のうどん屋前(11:15)

〇記録

【はじめに】

去年、同時期の朝発二泊三日で果たせなかった塩見。ケンタさんがリベンジを考えているという。会の記録を読んで、行ってみたいと思っていた。たまたま今年の冬合宿担当だったので、一緒にできないものかと打診したらば、快くOKを頂いた。

去年の撤退を踏まえ、ケンタさんから提案されたのは無理なく登頂を狙える朝発三泊四日行程(27…塩川側からの尾根取付き泊、28…本谷山近くにBC設営、29…塩見ピストン、30…下山)、勿論大賛成。

しかし登頂予定日の29日がよりにもよって確定的な悪天候の予報!!まだ28の方が天候条件的には登頂の可能性がある。ケンタさんと協議し、強行軍予定を念頭に入れて欲しいと二日前にメンバにお願いした。

【27日】

カトさんが手配してくれた高速バスに乗り込む。回数券利用で片道400円安い。渋滞もなく松川バス停へ、予約していた丸茂タクシーへすんなり接続。

雪もあまりなく、車止めチェーンが張ってある手前の駐車スペースまで上がってもらえた。名古屋ナンバーの自家用車が二台あり。

しばらくいくと塩川ルートは徒歩もダメと、大鹿村役場が言っている原因たる崩壊地。数メートル直上してからトラバースする。頭上から豪快に崩壊しており、上を気にしつつそそくさと通過した。

休業中の塩川小屋の下から、沢沿いの登山道に入っていく。何度も沢を渡り返すのだが、回数は記憶が曖昧。

鉄製の未だしっかりした橋の後、(渡り返し)いつ崩壊してもおかしくない感じの木橋を渡り、(渡り返し)右岸側尾根トラバースの道をいく。沢床へ下降、(渡り返し)左岸の道を奥へ奥へ進んだ所が尾根取付き点だった。

トレースが最初、尾根をちょっと回りこむ感じで上方に続いている。トレースがあるからそうと分かったが、道標も目印も見当たらず、トレースない時は取付点は慎重に地図を読んでいかないと…という感じ。

本来の計画ならここで一日目は終了だったが、明日の晴天アタックのために先に進む。

ここからは、とにかく三伏峠まで登り一辺倒。ひたすら登る。

(01_急登が続きます.JPG)

 

急登が続きます
急登が続きます

暗くなってからようやく鳥倉からのルートと合流(標識あり)、ヘッデンの明かりの届く限り鳥倉ルートは全くのノートレースだった。

急登に堪え、19時ようやく三伏峠到着。アベさんのお疲れさまビール、カトさんの豚しゃぶを美味しく頂く。水を作ったりで寝るときは22:30頃だったか。明日の早起きはツライと思いながら就寝。

【28日】

5:30過ぎ出発。冬期小屋前で準備しているパーティは、塩川で見た名古屋ナンバー二台の8人組だった。ここまでのラッセルのお礼を言い、頑張りましょうね!!とエールを交わす。

しかし、直後から行き先の道がトレース無しで分からない。うろうろして、ようやく進むべき道を定めた。ケンタさんに暗い内はトップ固定でお願いする。わかんで脛くらい。

三伏山付近は樹林が切れ、視界良好で気持ち良かった。行く手が見える。見るからに遠い…行けるだろうか?

本谷山から権右衛門山へ向かう道がわかりにくい。思えば夏道は尾根(権右衛門山に続く回り込む感じの稜線)通しなので、トレースなしの行く手の見た目が面倒そうでも、尾根をひたすら外さない意識で進めばよかった。手前の谷に向かって下降しかけてしまい、途中で地図を確認し左へトラバースする…反省。

権右衛門山手前から名古屋パーティが先行、途中で交代。

いよいよ塩見小屋に向けての尾根登行に切り替わる所で、またテープが途切れて道を見失う。地図を確認し、尾根に乗るのに楽そうな所を。ここでまた、名古屋隊と交代。

その後は着実に森林限界へ導かれる。雪が固くなってきたので平になった所でわかんを外し、小屋手前のちょっとした岩雪のミックス坂を越えれば、綺麗な稜線の先に、岩岩した塩見岳がどーんとそびえていた。

塩見小屋到着。アベさんとカトさんは、ここから引き返すという。「若い(??)皆は、行けるとこまで行ってみても」のアベさんの言葉に後押しされ出発。

(02_森林限界まであと少し.JPG)

森林限界まであと少し
森林限界まであと少し
03_塩見小屋へ向かう、奥は塩見岳
塩見小屋へ向かう、奥は塩見岳

もう時間押しで、帰りの長さも考えると登頂は難しい。それでも、時間の許す限りもうちょっと上の景色を見てみたい。13時を目安に塩見小屋に戻ってくることを約束してお二人と別れ、四人で今回の最高到達点を目指す。アイゼンがよく効いて気持ちの良い斜面、次第に斜度が増す。

ふと見上げれば天狗岩の岩稜下部にスックと立つ黒い影を発見、カモシカだ!!しばらく我々を身じろぎもせずじーっと見ていたが、こちらが到着する前に器用にかつ慎重に岩から降りて、向こう側に見えなくなった。こんな所にまで上がってくるなんて。カモシカスゴイ!

04_天狗岩下部にカモシカが
天狗岩下部にカモシカが
05_天狗岩基部にて
天狗岩基部にて

天狗岩のトラバースが始まる所はちょっとした平地になっている。時間は12:40、ここでタイムアップ。もし今が、11:00だったらなぁ。

晴れ渡っていた空に灰色の雲が出始めたのでそそくさと写真を撮り、下降。

名古屋隊も塩見小屋で休憩して引き返していた。長い復路が始まった。

トレースがあるので迷うことはないし、踏跡があるとないに比べれば、やはり、足運びは軽い。

とはいえ下山といいつつ、二つの山を登り返していかなければ三伏峠のテントに帰れないのが恨めしい。途中からつかみさんが先頭になり、いいペースで引っ張ってくれた。天気は確実に下り坂に向かっている、風とガスが出てきて早く帰りたいのは山々だが、足が思うように上がらない、もー疲れた。三伏山手前でヘッデンを出す。

アベさんカトさんの明るい声に迎えられ、テントから差し出された大食器になみなみと満たされた、激甘・熱々ミルクティー。回し飲んで、生き返った。用事は済んだが、明日は下山せずノンビリ沈澱日に決定。

【29日】

雪は降り続いている。朝には20~30センチ積もっていて、先んじてトイレに起きたあずちゃんが除雪してくれた。9時過ぎまで寝てゆっくり起き出し、ブランチ。

タクシー会社に連絡を入れると、鳥倉ルートは道がカリカリに凍結してチェーンでも上がれるか怪しいので、配車は塩川にして貰えないかとのことだったので了承した。

お昼からアルコール解禁、夕方まで延々と宴会。アベさんからのツマミが昨日の鴨肉塊に終わらず次々と放出される。ケンタさんのハム塊入りシチューも完食、しかし腹が重くて仰向けに寝れない。

【30日】

雪の中、撤収出発。高度を下げていくに比例して天候は回復していく、でも来た道はどんより重い雲が立ち込めており、回復が遅れているようだ。

タクシーは13時に予約したが、下山はサクサクと捗り早めに着いてしまった。待ってるの苦痛だし、この辺は携帯繋がらないしで、林道歩きを続けて除雪がされている集落奥まで歩き、身支度を整えてタクシーを待つ。12:30前には来てくれたので助かった。

タクシーの運転手さんオススメの望岳荘に行き、風呂と宴会。

16:36松川発の高速バスの予約をとってからタクシー会社に連絡して再びピックアップされ(ザックはタクシーに預けたままにして頂けたのだった、楽チン)、八つ合宿連投のために単独茅野に向かうカトさんを伊那大島駅で下ろし、他5名は高速バスの人となった(日付が変わっても高速バスから解放されないことになるとは、まだ誰も知らない)。

天気さえよければ。最初の計画通りならラッセル付きでも登頂できたのでは。と思うのだけど…それでも満足感のある合宿だった。ありがとうございました。でも、やっぱり冬期の登頂、果たしたいですね。。

************************************

【感想】

○ケンタ

(個人の感想)

1日目はトレースはあったが、2日目はトレースがなく、道を探しながらの行動であったため、昨年よりも条件は厳しかったといえます。そんな中で、昨年よりも先へ進めたので、私個人としては満足のいく山行でした。一方で、体力的にバテバテになってしまい、塩見岳直下の急登では満足に登れず課題の残る部分もありました。そんな中、皆様から食べ物や飲み物を分けていただくことで何とか、帰ってくることができました。本当にありがとうございました。

(山行メモ)

1日目

・1日を通してトレースがついていたので、歩きやすかった。先行していたのは名古屋から来ていたパーティー。

・塩川小屋までは崩壊箇所が2カ所あり、そのうち最初に出てきた箇所が崩壊規模が大きく、慎重に歩くことになった。

・塩川小屋から尾根取付き点までは、沢を何度か渡ることになったが、そのときに濡れた部分が凍ってしまい、アイゼンをつけるのに難儀した。

・三伏峠までは、ひたすらの登り。行動時間は昨年の方が長かったが、今回の行動の方がきつかった。テントを張ったら早々に寝る。

2日目

・4時起床。5時半の出発。暗い中の出発だったが、名古屋のパーティーは準備中で我々が先行することとなった。トレースはなく、道を探すのに苦労をする。所々で道を誤ったが、ハギさんが絶えず地図とコンパスを駆使して、方向を示してくれるのはありがたかった。

・本谷山に着く前には、空は明るくなる。雪が着いた稜線はきれいで、遠くの塩見岳は堂々としている。

・本谷山を超え、権右衛門山をトラバースするルートに入る前に、道に迷う。雪に足が埋まり、なかなか先へ進めない。わかんをつけていると、特に脱出に苦労する。トラバースに入ると一部名古屋のパーティーが先行するが、途中でまた我々が先行することになる。名古屋のパーティーは、若い人1人のみがラッセルしている様子。

・権右衛門山と塩見岳のコルのところで休憩を入れていると、再び名古屋のパーティーが先行トレースを付けてくれる。塩見岳の稜線への登りはきつかった。

・昨年たどり着けなかった塩見小屋に到着したときには、自分の中でのモチベーションが保てなくなってしまった。ここで阿部さんと加藤さんと別れて、4人で先へ進むことになった。(私はここで残りたいと言いそうになりました。)

・天狗岩へ向けての行程は、雪が締まり、アイゼンがよく効いた。そんな中をハギさん、アズさん、ツカミさんは快調に高度を上げていく。特にハギさんのつま先立ちで高度を上げる姿は格好良かった。

・そんな時、天狗岩の上にカモシカの姿が。一匹のみ、岩の上にすくと立って、こちらを眺めている。その姿は凜として美しかった。・天狗岩の下あたりで、タイムアップ。引き返すことになる。

・帰りの道もきつく、本谷山に着く前にあたりは暗くなり、風も強くなった。這々の体でテン場に戻った感じ。

3日目

・9時くらいに起床(?)。ひたすら宴会。ただお酒を飲み始めるまでの時間は長かった。

4日目

・4時半起床、6時半出発。快調に高度を下げ、予定よりも早く下山。温泉に入って、くりん豚ソースカツ丼をいただく。美味。帰りのバスでは渋滞に巻き込まれる。

○アベ

独身時代に冬の塩見岳に登っているのですが、記憶は当てにならないとつくづく感じました。

限られた日数と悪天の条件下であったことを考えると、精一杯のことは出来たのではないでしょうか。

塩見岳の頂上は遠かった。あと2時間早かったら・・・

帰りのバスは自宅まで2日間を要してさらに遠かった。あと2時間早かったら・・・

○つかみ

去年に引き続き二度目の塩見岳。

昨年よりも更に辛かった。

トレースがなく、ラッセル付きのルート。

へとへとになりながら塩見小屋に到着。

既にタイムアップ。今年もまた頂上到達は断念。

しかし、許されるわずかな時間・・更に進んでゆく。

行き先の岩の頂に一匹のカモシカが姿を現した。

身動きが止まってしまう。

時よりカモシカに遭遇するが、この凛としたカモシカは別格。

忘れることが出来ぬほど、格好よかった。

そんなカモシカに見守られ、天狗岩下に到着。

この日、最も塩見岳頂上に近づいた四人となった。

何故だろう。登頂達成していないのに、充実している。

倒れ込みそうなほど辛かったのに、過ぎ去ると塩見が愛しい。

また、今年も足を運ぶ予感がする。

その際には、あの岩辺りで、あのカモシカのようになりたい・・。

なにはともあれ、先輩をはじ皆様のお陰です。

ありがとうございました。

○あず

富士山での雪上訓練から早二週間、人生で初めての本格的な雪山登りとなりました。

登山道に入る前から林道で滑ったり、その後も沢にドボンしたりアイゼンでヤッケを破ったりと、初心者丸出しでのスタートで、これからどうなることやらと心配ばかりでしたが、先輩方のアドバイスや気遣いで何とか帰ってくることが出来ました。

残念ながら塩見岳の山頂を踏むことは叶いませんでしたが、雪で埋もれた美しい森林や、圧倒される様な岩壁など、たくさんの感動を味わうことが出来、大変満足しています。

パーティの皆様、4日間ありがとうございました。

以上

仙丈ヶ岳山行報告

南アルプス 仙丈ケ岳

【山行日】2014年12月27日~29日(2泊3日)

【メンバー】こば(L記)、エビ、

【行程】

12月27日 集合御茶ノ水(5:00)-戸台駐車場(9:00)-北沢峠長衛小屋(2:30)

12月28日 長衛小屋(5:30)-小仙丈ケ岳(9:00)-仙丈ケ岳(10:20)-長衛小屋(12:30)

12月29日 長衛小屋(6:00)-戸台駐車場(9:30)

【記録】

12月27日(晴れ)

これまで連日晴天が続いていたため、戸台の駐車場までは雪もほとんどなく順調。駐車場には管理人がいて計画書の提出を求められる。29日は低気圧の通過が予想され荒れ模様となるため、29日はどうするか聞かれた。朝悪天なら下山する旨答え出発した。

歩き始めはさほど雪は多くなく、むしろ河原が歩きにくい。何度か徒渉を繰り返しながら目の前にそびえる甲斐駒ケ岳に向かって歩みを進める。途中11:00頃角兵衛沢出合で休憩。ここは鋸岳へのアプローチ。4人くらいのパーティーが装備を整えていた。

 

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駒ヶ岳に向かって戸台川を歩く

12時前に丹渓山荘。八丁坂の登りとなる。森の中の急登でつづら折りの雪道を喘ぎながら登ると一時なだらかになり、また急登を詰め上げると大平山荘に出る。ここからはもうひと頑張りで北沢峠へ。峠を越したところの長衛小屋にテントをはる。水はテンバ脇を流れる北沢の水が使える。ただし上部に仙水小屋があるので念のため煮沸を忘れずに。ビール350mlは500円。生ビール大900円。おでんは鍋を持って行って自分で温めると400円。でテンバは1人500円。

2 テンバ
テンバ

12月28日(晴れのち雪)

計画では28日駒ヶ岳、29日仙丈ケ岳の予定であったが、29日の低気圧通過は確定的。エビちゃんが登ったことのない仙丈をターゲットとすることに決定。

朝から快晴で満天の星。4時起床。5時半出発。ヘッデンをつけ、林道わきの小さな橋を渡って登山道に取りつく。二合目までのショートカット道だが最初のうちは結構な急登。目覚めきっていない体には結構きつい。二合目でこもれび山荘からの道に合流する。しばらく上るとだんだん空が明るくなってくる。振り返ると駒ヶ岳とアサヨ峰のシルエットが見える。日が登るにしたがって徐々に表情を変えていく。写真には上手く取れなかったが、ピンクに染まるモルゲンロートの駒ヶ岳を見ることが出来た。

<写真2>

8時ごろ森林限界を越える。振り向くと駒ヶ岳が大きくそびえる。さすがに稜線に出ると風が出始める。雪はクラストしてアイゼンが良く効く。小仙丈下の急斜面にアイゼンを突き刺しながら登る。小仙丈に出るとようやく仙丈ケ岳が目の前に現れる。北側をスプーンでそぎ落としたような仙丈カールを纏う優雅な姿に一時目を奪われる。

<写真3,4>

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駒ヶ岳が赤く染まる
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森林限界を越えて

小仙丈からは快適な稜線漫歩。北岳を始めとした南アルプスから富士山、八ヶ岳、北アルプスや頸城の山々、仙丈の右奥には噴煙を上げる御嶽や中央アルプスまで望める。風もさほど強くなく、場所によっては無風。温かい太陽を浴びながら仙丈を目指す。一時間も登ると藪沢カールが望めるようになる。藪沢カールをいくつかのピークが取り囲む。その一番奥が仙丈ケ岳。手前のピークを巻くために、藪沢側のクラストした斜面にアイゼンを効かせながらトラバースしていく。落ちたらそのまま下まで行ってしまう斜面と時々強く吹き付ける風に少しビビりながら進んでいく。そしてついに頂上。時計は10時20分。

5 小仙丈から仙丈へ向かう
小仙丈から仙丈へ向かう
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一番奥が仙丈ヶ岳
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富士山と北岳

頂上からはまさに大展望。雲一つない空の下に銀色に輝く峰々が見渡せる。まるで日本で一番高い場所にいるような感覚。しかし風が強い。写真もそこそこにさっさと下山することにする。

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頂上
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頂上

下山も快適。目の前の駒ヶ岳がどんどん大きくなってくる。駒に向かって突き進む感じ。樹林帯に入ってからはシリセードも交えながらどんどん下り昼過ぎにはテンバ着。

やはり早すぎた。普通に登ると時間を持て余すと思い大分ゆっくり登ったつもりだったが下りが速すぎたか。とりあえず祝杯と言うことで小屋へ。鍋とガスを持っておでんを2人前注文する。おでんは7種8個も入って400円。これはずいぶん安いんでは?僕は生ビール、エビはコーラでとりあえず乾杯。外は快晴だが仙丈の方に少し雲がかかってきた。上部はガスか?ちょっと塩見隊のことが気になる。

おでんタイムの跡も時間がたっぷり余っているので仙水小屋まで軽く歩くことにする。沢沿いの緩やかな道。1時間弱くらいで小屋につく。仙水小屋の前には水場がある。湧水で一年中4度とのこと。うまい。

18時ごろテントで食事していると雪が降り始める。予想より早い。この時点で翌日朝からの下山が決定。爆弾になりかねない南岸低気圧の通過するさなかに駒を目指す気にはなれない。

12月29日

一晩で積もった雪は20センチくらいか。ただ気温は高い。テントの内側の結露も凍っていない。今日の昼くらいまで雪は降り続く見込みなので、暗いうちから下山開始。綺麗な雪の森を堪能した後長い河原歩き。前から結構な人数が登ってくる。明日からは晴天が続く。ちょっとうらやましかった。

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やせ尾根を下る

以上